高齢者向き 安・近・鍛ハイキングコース
ヘッジス トレイル & 六所神社初詣
2014.1.18・ 7.3Km ・ 4時間コース

サイトの見方:先ずコースマップをクリックし、マップを開きコース全体を確認
@コースマップ・2014.3.11修正版(GPS,Tさん編集) 
AStart & Goal・福念寺(豊田市花沢町山ノ神44)、花沢二区集会所P
B参加者:23名

・はじめに

『ヘッジス トレイル・Hedges Trail』とは、
1945.1.3 PM15:15 そだめ(現豊田市坂上町)に墜落したB-29 尾部銃で奇跡の生還者 Harold T,Hedges軍曹が、 墜落直前にパラシュートで脱出し六所山山麓に着陸した。

その彼が、山中に逃亡、翌日に逮捕されるまでの足取りを辿るハイキングコースを”ヘッジス トレイル”と呼ぶ。

左の新聞記事は、
Hedges生還を伝える地元OKLAHOMA CITY TIMES
彼の出身地のオクラホマでは1945.9.13木曜日の新聞で”ジャップ シティーボーイを銃床で殴打” の見だしでHedgesの生還を報じた。 オクラホマ8丁目のMis Zora Hedgesの息子22才のHarold T. Hedges軍曹は、”人参”を盗んでジャップに罪を問われた時に銃床で殴られた腕の傷を 米国の病院船上で士官(軍医・大佐)に見せた。
Hedgesは、1月3日名古屋上空でジャップの戦闘機の自殺行為(体当たり)で撃墜されたB-29の尾部銃手であった。 彼の母は解放の1945.8.29火曜日に公式に通知を受け取った。

2012.4.14、 孫娘からのemail情報
私の祖父は Harold T Hedges です。祖父はテキサス州の癌病院で1979年11月にガンで死亡(56歳)
祖父は二度結婚し、最初の妻に子供2人、二度目の妻にも子供二人がいる。私は、二度目の妻の長男の子供です。
祖父は、生前には食品取引業を営んでいた。

逮捕から生還までの足取り
著名なB-29捕虜Hapは、彼を奇跡の生還者と呼ぶ、その分けを末尾に記す。


・Start & Gorl・福念寺、出発 9:30

1945.1.3の福念寺は 報恩講で、多くの村人が集まっていた。

大音響と共に米国の戦略爆撃機B-29が上空をかすめ火を吹きながら墜落する光景を多くの村人が山門前の橋の上から眺めたという。

そして、米兵1人がパラシュートですぐ近くの山中へ落下した。米兵は一旦出てきたが村人を察知したのか山中に逃げ込んだ。

そこは、六所山からこの近くということで福念寺が警防団の本部となり夜警に当たった。



・パラシュート着陸地点 9:50

花沢二区集会所前のR361花沢坂上線を500m程北上し林道を左折し180m先の農地の奥の山林です。

Hedges のパラシュートは赤松の根元に着陸した。その右側には小さな池がある。



・証言者の河合ヘルエ様・大正2年<1913>生まれ、 写真2012.12.24

河合ハルエ様は、福念寺の直ぐ近くにお住まいで、翌日、米兵逮捕後に子供をおんで落下傘を見に行った。

その場所は”鋳師釜”で大山さんの田んぼの側、落下傘は、警防団が見つけた。

当時の松の木は今のようには高くなかった。落下傘はその松の根元に落ちていた。

前に、人がすっぽりと抜けるように落ちていた。私はなぜてみると日本の羽二重(絹生地)より生地が厚くけなるかった・・・略

河合さんは、寒中でしたが松の木の前で米国の青年にも当時の状況をつぶさに語った。



・ヘッジス ポンド(池) 9:51

パラシュート落下地点の直ぐ右側に池があり、場所の特定に役立つ、




・山仕事の小路 9:55

パラシュート落下地点の左から、小路が西へ延びる。このルートをヘッジスが逃亡したと思われる。

少し進むと、ヘッジスが目印にしたと思われる岩石がある。我々は、ヘッジスストーンとなずけた。 ロゼッタストーンは有名だが、この石もやがて有名になるかも、


・炭焼窯跡発見 9:57

ヘッジスストーンを右に見てさらに進むと、往時の炭焼窯跡を発見した。

窯跡は、沢水が流れる少し山側にあり、窯の石積み部分と煙突の穴がそのまま残る。

当時は、このような窯がこの辺りに点在していたと思われた。

松平の長老は、当時の窯の構造を説明し、下を流れる沢水が窯の蓋と炊口の蓋などの土をこねるのに必要であったという。 従って、炭焼窯に隠れれば、寒さに耐え、沢水で生き延びれるのだ、


ここで、ヘッジスが逮捕された花沢町鳥下の往時の炭焼窯をイメージしてくださいね。


・炭焼窯の煙突穴 9:59 N提供

半世紀分の落ち葉が堆積していたが、この穴の上に土管が伸びていたようだ、

ヘッジスは、この炭焼窯を眺め、あと一日生き延びるために、さらに奥地へ進んだと思われた。

一行は、この先のルートは、未確認のため今回はここで折り返し、野外センターを目指す。

・ 2014.3.11 追記

3月6日、松平ウオーク幹事6名で、Hedgesが逃亡したと思われる、この奥へ続く炭焼窯ルートを調査し、 往時の炭焼作業道を何とか見つけ出した。
その1.5Kmのルートには、二つ目の炭焼窯跡を発見し、鈴木石材の採石場経由で逮捕地点の炭焼窯へ至る。
そのルートを
@コースマップ(GPS)に追加修正し差し替えましたのでご覧ください。



・豊田市野外センター東入り口 10:23

ここから、六所山のきつねコース登山口へ、





・きつねコース登山口 10:45

トイレ休憩後、
ここから、六所神社奥社を目指す。

800mのやや急登、


・六所山頂着 11:28

山頂には、市の名木に相応しい大木が聳える。

多くの登山者が、この木何の木?と尋ねたくなる立派な木です。

そこで、豊田市野外センターにmailで尋ねると、”イヌシデかアカシデ”の何れかという。
松平の長老ルートで調べたら”ブナ科の一種”という。

そこで、野外センターに名札を立てるように頼んだら、地主の許可が必要で立てれないという。


・六所神社上社初詣記念 11:45

松平ウオークの無事故と参加者の健康を願う、

また一年、元気でテクテク歩けますように!


・新しい鳥居(裏) 11:49

久しぶりに登ると、新しい鳥居で、平成24年12月吉日 と刻まれる。

下見の時に聞いたが、この新しい鳥居は、ヘッジスに餅を御馳走した鈴木石材(株)が建てたという。

したがって、この鳥居をくぐるのは、ヘッジス トレイルに相応しい。


・新しい鳥居(表) 11:52

文字も図柄もコンピューター制御で彫られ、ハイテクは、神の領域へ侵入したたようだ、

参拝後、六所山の南山麓直下に聳える中電六所中継所へ下る。


・中電六所中継所 12:29 N提供

このパラボラアンテナは、六所山の目印ですが、上宮からここへ下るコース(南ルート)は、下山地区以外の人にはあまり知られていない。

松平ウオークも、ヘッジストレイル開拓で初めて歩く、そこは、陽だまりの大展望所で、遥かに三河湾を望むお奨めポイント、




・ランチ 12:29

中継所の陽だまりは、大寒がうそのよう。




・大展望 12:29

この眺めは、六所山随一です。ここを、中電展望所と呼びたい。

村積山(三河富士)は、どこから見ても美しい。

東方の山並は果てしなく続く、

一行は、大展望を後に、ヘッジス逮捕の炭焼窯を目指し林道を下る。


・ヘッジストレイル記念 13:02

ヘッジストレイル唯一の道標、この場所は、落下傘着陸地点から西へ約1Kmの地点です。

B-29は、15:15に墜落、落下傘もほどなく着地し、雪の山中を徘徊したとしても16:00頃にはたどり着いたと思われる。 そして、窯の中で寒さを凌ぎ、沢水でのどを潤したと思う。

往時の炭焼窯は、この道標の右側へ下り、沢の畔にあったという。

そこは、現在は鈴木石材の採石置き場で土石の下となり立つことはできない。




・道標 13:02

ヘッジスの発見は、雪道に付いた足跡を手掛かりに、大沼の猟師(小幡藤十郎)が見つけ、数人で鈴木石材まで連行した。

彼は、終戦時22歳、奇跡の生還後56歳までの人生で、4人の子供と孫を残した。

同クルーの他の11名は、米国のルイビル、ケンタッキーのザッカリー・テイラー国立墓地に眠る。




・間伐事業 13:23

六所南麓は、スギとヒノキです。

都市緑化&保全の為 ”あいち森と緑づくり税”が投入され、交付金はH30年まで延長された。




・六所神社の一の鳥居

沢山の間伐放置林と石切り場を眺め、車道へ出る。

南麓にも六所神社の鳥居があることを知る。 これは、旧下山村側からの参道で一の鳥居のようだ。

往時は、車道が無かったので、ヘッジスはこの鳥居をくぐり下山したと思われる。


・鈴木石材(株)

花沢町の鈴木石材で、右側が石材加工工場です。現会長(鈴木宏政氏)の祖父(鈴木清助・村議歴任)がヘッジスをこの場所に連行し、 彼に餅を食べさせた場所です。

餅提供の話は、松平、下山両地区の戦時下の美談としてそれぞれに物語として語り注がれている。




・石材加工工場見学 13:50

石材切断機で、墓地の縁石を切断していました。

皆さん、自分の入る墓石がどのようにして加工されるか、鈴木社長の案内で興味深く見学した。

この切断機の能力は、厚さ1mまで切断可能、


・R361を行く 14:01

花沢町内を巡り、福念寺(花沢二区集会所P)を目指す。




・花沢二区集会所P 14:16

福念寺前の花沢二区集会所Pです。

いつの日にか、ヘッジス の息子か孫が尋ねれば、このトレイル案内したいですね。

おつかれさま、所用時間は4時間46分、

おわり、


・アフター(水子供養) 14:35

帰路、根引き峠にある妙楽寺に立ち寄る。

そこは、水子供養の広大な霊場で、素晴らしい展望を楽しむ、

妙楽寺の住職は、鈴木石材の現会長の次男が務める。


追伸:

鈴木石材で餅を食べた後のヘッジスの足取り(戦後の復員省調書およびGHQ調書より)

@Harold T.Hedges個人情報: 軍曹・B-29尾部銃手・22歳・独身・オクラホマ出身

A撃墜:1945.1.3 15:15

B逮捕:1945.1.4 降下付近に潜伏中、豊橋憲兵分隊陸軍憲兵軍曹の松浦富茂が逮捕

・立会者、同分隊長松本時敬少尉・同場所より岡崎憲兵分隊所長憲兵中尉に護送
・1.5頃豊橋憲兵分隊憲兵曹長森脇忠士他2名名古屋憲兵隊本部を経て名古屋陸軍司令部参謀陸軍少佐山下二三男に引き渡せり。

C名古屋憲兵隊:1945.1.4〜1.7 

・数日後名古屋陸軍司令部より中部軍司令部(大阪)へ名古屋憲兵分隊憲兵軍曹梶田正彦が護送す。
・以後の処置不明

D大阪憲兵隊:1945.1.7〜3.7(GHQ調書・Hedges証言)
・著名なB-29捕虜 Ray 'Hap' Halloran氏(大森収容所でhedgesと暮らした)は訴えます。
大阪憲兵隊は全員ひどくむごく残虐であり、そこへ送られたB-29捕虜51人中49人を殺害した。 Hedgesは何故か殺害を免れたという。

その訳は、 『B29の追憶』参照、

E東京の大森収容所:1945.3.7〜8.29(GHQ調書・Hedges証言)

F解放後、東京湾上の米国の病院船に収容され生還(GHQ調書)





****《松平ウォークプラン》****

****《安近鍛目次》****