ヘッジス トレイル & 六所神社初詣 2014.1.18・ 7.3Km ・ 4時間コース |
『ヘッジス トレイル・Hedges Trail』とは、 その彼が、山中に逃亡、翌日に逮捕されるまでの足取りを辿るハイキングコースを”ヘッジス トレイル”と呼ぶ。
左の新聞記事は、
2012.4.14、 孫娘からのemail情報
逮捕から生還までの足取り 1945.1.3の福念寺は 報恩講で、多くの村人が集まっていた。 大音響と共に米国の戦略爆撃機B-29が上空をかすめ火を吹きながら墜落する光景を多くの村人が山門前の橋の上から眺めたという。 そして、米兵1人がパラシュートですぐ近くの山中へ落下した。米兵は一旦出てきたが村人を察知したのか山中に逃げ込んだ。 そこは、六所山からこの近くということで福念寺が警防団の本部となり夜警に当たった。
花沢二区集会所前のR361花沢坂上線を500m程北上し林道を左折し180m先の農地の奥の山林です。 Hedges のパラシュートは赤松の根元に着陸した。その右側には小さな池がある。
河合ハルエ様は、福念寺の直ぐ近くにお住まいで、翌日、米兵逮捕後に子供をおんで落下傘を見に行った。 その場所は”鋳師釜”で大山さんの田んぼの側、落下傘は、警防団が見つけた。 当時の松の木は今のようには高くなかった。落下傘はその松の根元に落ちていた。 前に、人がすっぽりと抜けるように落ちていた。私はなぜてみると日本の羽二重(絹生地)より生地が厚くけなるかった・・・略
河合さんは、寒中でしたが松の木の前で米国の青年にも当時の状況をつぶさに語った。
パラシュート落下地点の直ぐ右側に池があり、場所の特定に役立つ、
パラシュート落下地点の左から、小路が西へ延びる。このルートをヘッジスが逃亡したと思われる。
少し進むと、ヘッジスが目印にしたと思われる岩石がある。我々は、ヘッジスストーンとなずけた。
ロゼッタストーンは有名だが、この石もやがて有名になるかも、
ヘッジスストーンを右に見てさらに進むと、往時の炭焼窯跡を発見した。 窯跡は、沢水が流れる少し山側にあり、窯の石積み部分と煙突の穴がそのまま残る。 当時は、このような窯がこの辺りに点在していたと思われた。 松平の長老は、当時の窯の構造を説明し、下を流れる沢水が窯の蓋と炊口の蓋などの土をこねるのに必要であったという。 従って、炭焼窯に隠れれば、寒さに耐え、沢水で生き延びれるのだ、
半世紀分の落ち葉が堆積していたが、この穴の上に土管が伸びていたようだ、 ヘッジスは、この炭焼窯を眺め、あと一日生き延びるために、さらに奥地へ進んだと思われた。 一行は、この先のルートは、未確認のため今回はここで折り返し、野外センターを目指す。 ・ 2014.3.11 追記
3月6日、松平ウオーク幹事6名で、Hedgesが逃亡したと思われる、この奥へ続く炭焼窯ルートを調査し、
往時の炭焼作業道を何とか見つけ出した。 ここから、六所山のきつねコース登山口へ、
トイレ休憩後、
800mのやや急登、
山頂には、市の名木に相応しい大木が聳える。 多くの登山者が、この木何の木?と尋ねたくなる立派な木です。
そこで、豊田市野外センターにmailで尋ねると、”イヌシデかアカシデ”の何れかという。
そこで、野外センターに名札を立てるように頼んだら、地主の許可が必要で立てれないという。
松平ウオークの無事故と参加者の健康を願う、
また一年、元気でテクテク歩けますように!
久しぶりに登ると、新しい鳥居で、平成24年12月吉日 と刻まれる。 下見の時に聞いたが、この新しい鳥居は、ヘッジスに餅を御馳走した鈴木石材(株)が建てたという。
したがって、この鳥居をくぐるのは、ヘッジス トレイルに相応しい。
文字も図柄もコンピューター制御で彫られ、ハイテクは、神の領域へ侵入したたようだ、
参拝後、六所山の南山麓直下に聳える中電六所中継所へ下る。
このパラボラアンテナは、六所山の目印ですが、上宮からここへ下るコース(南ルート)は、下山地区以外の人にはあまり知られていない。 松平ウオークも、ヘッジストレイル開拓で初めて歩く、そこは、陽だまりの大展望所で、遥かに三河湾を望むお奨めポイント、
中継所の陽だまりは、大寒がうそのよう。
この眺めは、六所山随一です。ここを、中電展望所と呼びたい。 村積山(三河富士)は、どこから見ても美しい。 東方の山並は果てしなく続く、
一行は、大展望を後に、ヘッジス逮捕の炭焼窯を目指し林道を下る。
ヘッジストレイル唯一の道標、この場所は、落下傘着陸地点から西へ約1Kmの地点です。 B-29は、15:15に墜落、落下傘もほどなく着地し、雪の山中を徘徊したとしても16:00頃にはたどり着いたと思われる。 そして、窯の中で寒さを凌ぎ、沢水でのどを潤したと思う。 往時の炭焼窯は、この道標の右側へ下り、沢の畔にあったという。 そこは、現在は鈴木石材の採石置き場で土石の下となり立つことはできない。
ヘッジスの発見は、雪道に付いた足跡を手掛かりに、大沼の猟師(小幡藤十郎)が見つけ、数人で鈴木石材まで連行した。 彼は、終戦時22歳、奇跡の生還後56歳までの人生で、4人の子供と孫を残した。 同クルーの他の11名は、米国のルイビル、ケンタッキーのザッカリー・テイラー国立墓地に眠る。
六所南麓は、スギとヒノキです。 都市緑化&保全の為 ”あいち森と緑づくり税”が投入され、交付金はH30年まで延長された。
沢山の間伐放置林と石切り場を眺め、車道へ出る。 南麓にも六所神社の鳥居があることを知る。 これは、旧下山村側からの参道で一の鳥居のようだ。
往時は、車道が無かったので、ヘッジスはこの鳥居をくぐり下山したと思われる。
花沢町の鈴木石材で、右側が石材加工工場です。現会長(鈴木宏政氏)の祖父(鈴木清助・村議歴任)がヘッジスをこの場所に連行し、 彼に餅を食べさせた場所です。 餅提供の話は、松平、下山両地区の戦時下の美談としてそれぞれに物語として語り注がれている。
石材切断機で、墓地の縁石を切断していました。 皆さん、自分の入る墓石がどのようにして加工されるか、鈴木社長の案内で興味深く見学した。
この切断機の能力は、厚さ1mまで切断可能、
花沢町内を巡り、福念寺(花沢二区集会所P)を目指す。
福念寺前の花沢二区集会所Pです。 いつの日にか、ヘッジス の息子か孫が尋ねれば、このトレイル案内したいですね。 おつかれさま、所用時間は4時間46分、
おわり、
帰路、根引き峠にある妙楽寺に立ち寄る。 そこは、水子供養の広大な霊場で、素晴らしい展望を楽しむ、
妙楽寺の住職は、鈴木石材の現会長の次男が務める。
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