岩倉、室&渡合町 巡りハイキング・豊田市 2014.3.15 ・ 9.7Km ・ 4.5時間コース |
今回は、松平ウオークお奨めの究極の安近鍛コースです。 そこは、参加者の数名が日々の散歩コースとも思えますが、 地元の方も初めてという”渡合町の秘境”を含む、通年楽しめるハイキングコースです。 P5を振り出しに、アローズブリッジをくぐり、岩倉、室&渡合町を巡ります。 それでは、3月度の松平ウオークをお楽しみください。
高速道路の側道を上り、岩倉町へ、 伊勢湾岸高速道を見晴らす台地に、岩倉城主・戸田又兵衛直矣(なおつぐ)の廟がある。 戸田家の墓標と聞き伝えの武勇伝、竹千代(家康の幼名)に因む逸話を書き留めた掲示板が建つ、
廟の北側に、顕正寺がある。 境内の”どうぶつのおはか”は、愛くるしく、心の和むデザインだ、
岩倉の集落に入ると、かっての花火工場の歴史を伝える掲示板が建つ、 子孫は、現在も活躍し、全国の花火大会に、その名が知られる『磯谷火煙』に発展している。 詳しくは、 『岡崎花火説明版』をご覧くださいね。
高根神社手前からの眺め、2015/3、このJCTから、新東名がはじまり、御殿場までつながるという。
工事状況を確認、
境内の掲示板には、岩倉の謂れは、『盤座(いわくら)』といい、巨石信仰を、今に伝える。 ここからの展望は素晴らしい、とりわけ、初日の出の遥拝は、岩倉町の自慢です。
左から、天下峯、右端の六所山へと続く、
眼下は、東海環状自動車道が走る。
岩倉の重鎮、Sさんは、この城址直下に代々居を構え、周辺はSさんの敷地です。
そんな城下で育ったSさんから説明を受ける。 岩倉から、旧郡境(旧西加茂郡と東加茂郡)の小路を下ると、矢作川の左岸に出る。 明治42年完成の、旧堰堤と左岸に残る閘門は、『土木学会選奨土木遺産』となり、室町住民は、わくわく事業で小公園をつくり、歴史を伝える。 かって、室村は矢作川の水運で賑わっていた、河口からの所要日数は、上り2〜3日下り1日かかり、船頭宿が3軒、 その、名残りの一つが、水源橋東詰め商店の屋号『入船館』として今に残る。 詳しくは、 『明治用水船通し』をご覧くださいね。
この閘門の船通し所要時間は、約1時間、 S4年 (1929)越戸ダム完成で水量が減るまでは多く船が通過した。
矢作川の、一筋の流れを、碧海台地へ、都築弥厚の思い(1827年、江戸幕府に嘆願)が今の世に、 詳しくは、 『明治用水旧頭首工』をご覧くださいね。
水源公園には、
・『 緋桃白桃お嫁さんに逢ふ 山頭火 』 種田山頭火:M15年 山口県生まれ、自由律の俳句を提唱、S14年、漂浪の道すがら、刈谷市野田の稲垣稔の案内でこの地に旅吟した。
翌年、高松市の『一草庵』で没する、享年58。
再び、水源ダム橋を渡り、矢作川と巴川の合流点を見下ろす渡合町へ。 伊勢湾岸高速道路をくぐり、
梅、サンシュウの咲き誇る渡合の郷中を巡り、巴川に架かる郡界橋を眺め、峰の観音へ、
屋敷の梅とアローズブリッジ(矢作川橋)の主塔、 この主塔(約100m)に登れば、年に一度か二度、富士山が見えると、鹿島建設の工事事務所長から以前に聞いた。
コンピューター(カシミール3D)で、解析してみると、その間には障害物は何もない。
目抜き通りの、渡合山・観音院の前を通り、
渡合町は、清流巴川と共にある。 旧郡界橋は、この少し下流に架かっていた。 かって、この村の学童は、その橋を渡り、対岸の岡崎市細川小学校へ通ったという。
巴川の右岸の春を眺めながら、峰ノ観音参道入り口へ辿りつく、
ここからが、登りで、渡合の秘境を目指す。
林道を上り詰め、さらに奥地を目指す。 巴川越しに、村積山が迫る。
一息入れてから、さらに分け入る。
小路をジグザグに進むと、渡合の大正池とも思える、神秘的な”玄野池”の畔に出る。
この岩の上から、目の前に広がる県天然記念物・シデコブシの群生と玄野池を眺める。 所どころに、花芽が膨らむが、開花前であった。 我々は、ここを、”渡合の秘境”と名付けた。
満開の時期に、再度訪問しよう!
渡合町の北隣は、フォレスタヒルズのある琴平町です。 けもの道を手掛かりに町界の尾根を目指す。
一帯は、私有地で、谷側(右側)は、県天然記念物のシデコブシの群生地です。
町界をなす尾根を確認し、”トヨタの森”の散策路へ出る。 散策路を左へ進み、”シデコブシの谷”へ、 更に、湿生生物観察園をへて、Gorl 地点のP5を目指す。
(健脚さんへ、トヨタの森・散策路一周をお奨め!)
2014.3.15の ”シデコブシの谷”開花状況です。 花の色は、白と赤があるようだ。 ・シデコブシ 開花を誘う 青い空 参加の皆さん、お疲れ様、
おわり、
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