岩倉・野見山 城址巡りコース 2010.3.20・一周約11Km |
岩倉西区民会館・顕正寺Pを9:00に出発です。 ここは、その南隣で、岩倉の峠城を移築した場所です。 この岩倉の峠城 No.38を振り出しに、マップに基づき左回りで約11Kmの城址巡りです。
城主であった戸田家の墓標と聞き伝えの武勇伝を書き留めた『城郭図・伝説掲示板』が建つ、
かって、秋葉講で村のシンボルであった常夜燈です。
常夜燈の向きが、秋葉さんの方角と違うので、これは移築した時に間違えたという。
・岩倉城 No.37 9:38
説明者の柴田さんは、石碑の建つ場所は、自分の所有地というので、平成の城主ということになります。
この標識の街道は、矢作川左岸の旧岡崎から加茂へ抜ける古道と思われます。
街道は、長閑な室町の丘を登ります。
振り向くと、水源公園とアローズブリッジの絵葉書が飛び込みます。
皆さん、初体験で、しばし見惚れていますた。
山室橋をバックに記念写真となりました。
城巡りに相応しい、室町ルートです。 室の石切り場は、平成3年まで活躍したという。かっては、川舟で岡崎、幡豆などへ出荷したそうです。
石切り場の跡と、記念碑と出来たばかりの説明板が建つ、
野見神社、なんと相撲と土器の神様で、元横綱北の湖も参拝したという。境内中央に土俵がある。
市街地を見下ろします。眼下に鵜の首橋と丸根城址、西方に巨大なトヨタ城です。
戦国の御世は、矢作川には防災堤防もなく、人々は、たびたびの水害に翻弄されたという。
丸根城は、天然の要塞である鵜の首を西に構えて、防備を固めたそうです。
展望台に上る車道の片隅に、数本のシデコブが咲き誇っていました。
展望台からシデコブシを見て、引き返し、鳥居側に下りました。
この鳥居は、地元の方のみ知るようです。
空堀に建つ記念碑が一行を迎える。
この地は、矢作川が市街地を抜けて最も川幅の狭くなる野見町の通称鵜の首
の東岸にあり、景勝の地でもある。お奨め散策ポイントですよ。
昼食後にくつろぐ参加者の皆さん。
丸根城址は、
戦国の世は、十分にその機能を発揮したと思われますが、古文書などもなく年代や史実が明らかでないが、
城主、丸根美作守家定は徳川家康に攻められ、城に火をかけたという。
丸根城址から、久澄橋を渡り、
お馴染みの水源ダムですが、
立派な管理所ですが、土曜日の当直者は1名です。 管理所2Fで、ゲート制御システムの説明を聞く、 管理所の主たる役目は、ダム水面の標高(30m)を常時一定に保つために沢山のゲートを遠隔制御します。 すなわち、上流からの放水量、明治用水への供給量などを満たし、かつ標高30mを保ちます。 皆さん初めてでしっかり聞きましたが、沢山の質問もでて理解を深めたようでした。 水源頭首工と明治用水は、編集者がアップした、 『明治用水』をご覧ください。
ここは、水源公園の特別席です。管理所の庭園も良く整備され、ダムとフォレスタヒルズの山並みを一望します。 見学のお陰で、時間のオーバーとなり、MAG道路側道経由で、早足で1.5Km先のスタート地点を目指ました。
顕正寺P到着は、15:20で、所要時間は、6時間20分/11Km となりました。 |
****《松平ウォークプラン》**** |