思い出の 志賀高原巡り と 万座の湯 Aug 23.24. 2014 |
・丸池スキー場・11:20 取材記者は、S34.1(1959.1)の正月休みに、会社のスキー学校に参加して”丸池スキー場”で人生初めてのスキーを楽しんだ。 55年後の今、豊田市から約5時間、信州中野IC経由で、そのスキー場の前に車を止めた。 スキー場前の情景は全く別世界で、浦島太郎のようであった。当時のホテル、丸池スキー旅館などは全くない。 場所違いか? しかし、スキー場を眺め、当時のリフト、A,B,Cコースのスロープから、初スキーの情景が少しづつよみがえる。 志賀高原自然歩道の掲示板をみると、場所は間違いないが、当時の志賀高原ホテル、丸池スキーハウス、スキー旅館などはなく、 そこには、志賀高原歴史記念館と志賀高原猪谷記念館が建つ、 この半世紀、マイカー時代の進展、長野冬期オリンピック、バブル期のホテルの建設ラッシュ、 その後、スキーブームの終焉を迎え、現在がある。
丸池スキー場の懐かしいホテルや旅館などはバブル崩壊と共に消え去ったようだ。
ここは、志賀高原の入り口と思う。 我々の青春時代は、名古屋から夜行列車での過密スケジュール、 ただただ滑りまくる、したがって、志賀高原の理解もない。 この建物は、旧志賀高原ホテルの玄関(ホール&会議室)で、H19年に、近代産業遺産に登録された。 我々を迎えた、同年輩の館長は、志賀高原の開発はS2年から始まり、 志賀高原ホテル(S12.1.1開業)は国策ホテルという。県下では、志賀高原、上高地、野尻湖に建設され、唯一現存する 施設と自慢する。 館長の熱弁は、下記のHPから想像くださいね。 関連情報:
記念館入ると、当時の大きな暖炉とホールに積まれた薪の山が出迎える。 ドイツ人設計の本格的スキーホテルの玄関ホールには、 志賀高原開発当初(S2年頃)からのスキー道具、往時の写真などが展示される。 トニー・ザイラーと鰐口晴子の写真もあり青春時代が懐かしい。
彼は、1950年代のアルペンスキーの名手、56年のコルティナダンペツォ オリンピックのスキー三冠王、 白銀は招くよ でデビュー、銀嶺の王者 では、バイリンガルの鰐淵晴子と共演、何とも懐かしい。
この写真は、55年前の丸池スキー場です。 当時も、このリフトで上がり、このスロープがAコース(上級者向き)、この奥から左に降りるBコース(中級),Cコース(初級)がある。 これらのコースは現在も変わらず健在であった。 S34.1スキー学校に初参加の編集者、 ホテルの裏山の練習コースで、午前中、スキー部OBの特訓、 後方は丸池、 午後、写真のAコースに挑戦し雪だるま体験、 ウエアーは、日本海軍の神風特攻隊スタイル、
スキー板は、会社の体育館から借りた。カメラは、小型のコニレットを持参した。
取材記者は、往時、東館山の上から滑った体験がある。 たぶん山頂へのアクセスは、 蓮池からの発哺線リフト経由?でここまで来たか?、アゴが凍る早朝に並んでゴンドラに乗った記憶を思い出す。 調べると、東館山空中ケーブルは、1960年開業、よって、開業直後に乗ったようだ、
眼下は、東館山スキー場、ここを滑ったとは思えない。 当時は、細い林道をくねくね滑ったことが思い出された。
山頂から、右手のゲレンデが高天原スキー場、 その後に、建設したと思われるリフトが2基並ぶ。
山頂には、山野草植物園と大きなレストハウス、 そこの、展望テラスから、志賀高原を俯瞰し、弁当を食べる。 心配した天候も、晴れ間も出て、一同良かった、良かった。 標高は、2030m, 志賀高原のスキー場と、名峰笠岳、志賀山を確認する。
左端のコブが、笠岳か? 夏の志賀高原で、往時のスキー場を思い出すのは至難の業、
高原の冷気、素晴らしい風景、開発は進んだが、志賀山などのハイキングコースがハイカーを誘う。
山野草園地を巡り、少し下ると記念の小屋、
1998年の長野冬期オリンピックでのアルペン競技(大回転)のスタート地点を記念する。
取材記者は、半世紀前の記憶がままならず。 山野草を眺める余裕はない。
時間の都合もあり、リフトに揺られて下山、 鉄塔には、平成9年(1996)建設の文字、
R292を進み、『横手山のぞき』へ、そこは志賀高原のビューポイントで、夏場も観光客が絶えない。 理由は、雪解けを待って動き出すこのスカイレーターだ、 ここを通る観光客は、老若男女このベルトコンベアーに乗りたがる。 乗ったお客は、上で待ち構えるスキーリフト載せられ、アッという間に志賀高原の展望台へ、 スカイレーターは、S42.7竣工というので初体験だ、1基しかない。下りは徒歩か?その心配はすぐに消えた。 我々が到着した時、集団が登った、係員は、下山集団が降りてきたら、登れるという。 一基での、上り、下り交互運行なのだ、 その構造は、ゴルフ場のコース間移動用のベルトコンベアーと同じです。このベルトには約2m間隔に〇印付けられ、乗客を丸の上に立たせ、 荷重を分散させ一度に20人位を運ぶ。 全長200mで、設置角度14°30′、5分間で50m(35m?)上げる。
横手山山頂は、ご覧の風景で、大きなレストハウスとパラボラアンテナ。 業務関係者は、車で上がり、観光客はスカイレーター、スキー客はリフトで上げる。
レストハウスのテラスが、展望台、
文字通りの雲の上の世界だ、ここからは、360度の大展望が可能、南北アルプスから富士山までの展望絵図が設置される。
・展望写真 ・15:28
今回は、このような掲示写真で我慢しよう。 横手山の山体は、ウイキペヂアによると、『南側と西側が急斜面をなし、北側と東側は比較的なだらかな傾斜を持つ非対称の形をしている。 長野県側の志賀高原は観光地としての開発が進んでおり、群馬県側の草津温泉、万座温泉と国道292号で結ばれている。 この国道は横手山の南に位置する渋峠で中央分水界を超えており、この地点が全国の国道の最高地点となっている。 これにともない、横手山も、スキー場、リフト設備などによる観光開発が進んでおり、夏冬を問わず、手軽に登れる山となっている』と記述される。 これより、渋峠を越えて、万座温泉へ、
・万座温泉観光センター R292の山岳ドライブはNさんが得意とするところ、スリルもあり、景色も素晴らしい。 途中の日本国道最高地点 2172m には立派な記念碑、 そこからの草津白根山域の眺めも素晴らしい。 草津と万座への分岐点を右折すると間もなく、観光センターの看板だ。万座の源泉『湯畑』、 空吹などの展望台訪問客の駐車場’バスターミナル)、トイレなど完備、 万座温泉は、標高2160m 白根山の南西麓に位置し、温泉地としては日本でも有数の高地で標高は1800m、源泉は18か所、湯温は80度、
源泉への散策道を巡ると、湯畑を見下ろす。奥の小屋から温泉送湯ポンプでホテルなどへ、
翌朝の見晴らし台散策時に撮影、年中蒸気が吹き上げるようだ、 源泉ルートを巡る約30分位の散歩コースを楽しむ。
万座の湯を楽しんだ一行、 湯自慢のホテルは、沢山の湯を設け、更に、系列ホテルの湯めぐりもOK、山の上の露天風呂もOK, ぐるぐる廻ってからの夕食となった。 翌朝の天候は晴れ、足慣らしで湯畑巡りの展望コースを散策し、全員にこにこ状態で草津本白根山ハイキングに出かけた。
この続きは、次ページの『草津本白根山ハイキングと草津温泉』をご覧くださいね。
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