瀬戸市海上町(かいしょうちょう)
・・・海上の森&物見山327m・・・
Feb 5. 2002


物見山登頂記念
今回は、隣り町は瀬戸市の”海上の森”散策です。 そこは、平成に入り『愛知万博』の予定地となり、その後、地権者の利害と自然環境保護派の 反対運動で脚光を浴びた里山です。苦難の愛知万博の工事が迫っていますので、現地を 自分たちの眼で確認することにしました。


山歩きマップ & コースデータ
@愛知環状線山口駅8:35発 A大正池9:35着 B篠田池10:10着  C物見山11:20着・12:10発 D山口駅14:00着  



万博予定地の看板
山口駅前の予定地案内図です。これは、愛知県・瀬戸市・2005年日本国際博覧会協会が10年程前に立てたようです。この図の緑線区域(図のほとんど)を会場にしますと宣言したようです。

しかし、その後の反対運動とゴタゴタで、メイン会場が”愛知青少年公園”となり、この予定地は 大幅に縮小され、左下の愛知工業大学に隣接する僅かなゾーン(愛環鉄道のトンネルの上)が万博の飛び地に予定されるそうです。



竹薮の名札
山口駅から出て屋戸橋を渡り、矢田川沿いに里道を進みます。その入り口の竹薮は竹一本毎に 所有者の名札があります。この竹は所有者の許可なしに切ることができません。このご利益で この竹薮は生き永らえたようです。 しかし、少しは切らないと筍も出にくいと思われました。所有者には、期限を明記するか、 もうそろそろ名札を外して元の竹薮してもらいたいものです。



海上町の廃屋
海上町の多くは県有林の看板です。しかしこのような廃屋もありました。この方は、移転補償をもらって駅前に御殿でも建てたのでしょうか?しかし開花まぢかの庭の梅の木が寂しそうでした。

大正池
海上の森の地質は花崗岩の腐食が進んだ砂山でした。雨が降ると砂がどんどん下流の矢田川へ流れます。そこで愛知県は砂防提をつくります。するとそこに砂と水が溜まり愛知の大正池 (実際は昭和池)が出来あがりました。



篠田池
大正池から北へ35分ほど雑木林の小径を抜けると篠田池です。静かな湖畔の風情です。白鷺が一羽じっと動かずに横を向いていました。この池は、篠田川に砂防提をつくり出来たようです。 ここで始めてハイキングの年配夫婦に出会いました。土日はかなりの賑わいと思われますが、 万博予定地の大幅な縮小で散策熱が冷めたのでしょうか?



物見山頂から名古屋方面の展望
この日は曇りで展望はハッキリしませんでした。しかし、この山は、武田信玄の家来が濃尾平野を 物見したというからかなりの見晴らしです。ここは美濃・尾張・三河の三国を見透せるロケーションのようです。 地図を見ると、この山は猿投山(623m)麓の西端に位置していました。

矢田川の源流
森の中はきれいな小川が流れています。その川底はきれいな砂です。この砂のお蔭で雨後でも水は濁っていませんでした。このような砂が下流にどんどん流れて、矢田川の清流は維持されていたと思われます。しからば砂防提(ダム)は自然破壊か?

海上の森は看板の森
”海上の森”とはどんなところだろうと思って歩いてみたら、一口に言ってそこは”看板の森”でした。 名古屋市近郊のこの里山は、列島改造・バブル期の開発と、その頃に計画した万博からも免れ、僅かな住民が県有林の隙間に細々と生活していました。その僅かな地権者の執念と環境固持派の応援とバブル崩壊の追い風で概ね今までの状態で温存されるようです。 しかし、そこに残されたものは数々の看板です。地権者の主張・環境保護派の看板、アジト跡・ 万博推進派(政治屋)への中傷誹謗・一株地権者の名札・この里を、日本の聖地と崇める信者の物々しい看板・立ち入り禁止・車進入禁止の看板・さらに元尾張藩の領地だといいたげな県有林の立て札などなどです。この写真の看板は、環境保護派(矢田川・庄内川をきれいにする会)が政治屋の心の汚れを意識して立てたのでしょうか?それとも我々ハイカーに呼びかけているのでしょうか?

海上の森
帰りに山口駅のプラットホーム立つと、”海上の森”全体を眺めることが出来ました。 鉄塔の右上の山が地図にも載っていない”物見山”です。そこから東西に約3Km、南に1Km,北に3Km程のエリヤが”海上の森”でした。写真で住宅地に迫っているのがその森の西端です。 今日は山歩きというよりも社会科の現地講習会になってしまいました。




”海上の森”へのアクセスは、下記のHPをご覧下さい。

《海上の森 2005年愛知万博を考える》

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