長野県南安曇郡安曇村・日本アルプス
穂高連峰縦走(北穂→涸沢→奥穂→前穂高岳)
Sep 8. 9.10. 2003


←奥穂高岳・穂高岳山荘/涸沢岳より
日本の近代登山の夜明けが、この穂高連峰から始まったという。正に、岳人胸躍る山域である。

そこを、やまびこ会の健脚組みが縦走するという。私は、カメラマンとして、彼らの行動を取材すべく参加することにしました。

彼らの行動計画は、第一日目は、豊田市を3時起きで出発し、上高地を目指します。河童橋を基点に、 涸沢小屋を目指し、1泊します。
第二日目は、涸沢カールから北穂高東稜を登り、北穂高岳から涸沢槍・涸沢岳への岩稜を進み、 穂高岳山荘を目指します。
第三日目は、この写真の小屋上の岩稜線をよじ登り、奥穂高岳から吊り尾根をへて、写真左の前穂高岳をアタックし、 岳沢ヒュッテ経由で河童橋に戻ります。ちょうど上高地の北にそびえる明神岳を一回りする行程で、 全体で約30Kmの道程です。

メンバーは、健脚組み5名とその健脚友人3名にカメラマンの私含めて9名のパーティーです。
それでは、一行と共に穂高連峰をお楽しみ下さい。


山歩きマップ & タイム

《第1日目》 時刻表示:着/発
@河童橋 9:05/9:09  
A明神 9:47/910:00 1505m
B徳沢園 10:44/10:55 
C横尾山荘 11:54昼食/12:35 1620m
D本谷橋 13:35/13:44 
E涸沢小屋 15:35 2309m

・所要時間: 6:30/17Km
・標準タイム: 6:50(含む昼食40)

《第2日目》
E涸沢小屋 6:20 2309m
F北穂高岳 9:40/10:19 3106m
・最低コル手前 11:50 昼食/12:30
G涸沢岳 13:55/14:30 3110m
H穂高岳山荘 14:50

・所要時間:8:30(快晴・時々渋滞)
・標準タイム: 6:00(含む昼食40)

《第3日目》
H穂高岳山荘 6:20
・奥穂を目指して出発、鎖場・ハシゴの絶壁を進むと、 谷から吹き上げるガスと強風で前進困難撤退。
H穂高岳山荘 6:50/8:00
E涸沢小屋 9:42/10:20 2309m
D本谷橋 11:45 昼食/12:10 
C横尾山荘 13:06/13:20 1620m
B徳沢園 14:10/14:20 
A明神 14:58/・15:04 1505m
@河童橋 15:35  1500m

・所要時間:7:35/穂高岳山荘〜河童橋
・標準タイム: 8:00(含む昼食40)

・注)標準タイムとは、少人数のパーティーで、無雪期・晴天時での軽量バックでの歩行。


《第1日目》 河童橋〜明神〜徳沢園〜横尾山荘〜本谷橋〜涸沢小屋・高低差810m/17Km 

←屏風岩
河童橋から梓川を11Km遡り、横尾大橋を渡り、横尾谷沿いに進みます。 左手の明神岳北面に巨大な岩壁が現われます。この屏風岩を180°ほど取り巻くと本谷出会です。 ここから、ややきつい登りを1時間40分ほど登り詰めると涸沢カールです。

涸沢小屋→
涸沢カールには、色とりどりのテント村が出来ますが、その近くに涸沢ヒュッテがあります。 我々は、そこから少し登ったところの涸沢小屋泊まりです。

初日の行動は、標準タイム6:50に対して、6:30で余裕の到着です。しかし、カメラマンは、写真を撮る度に数十m離されます。 そして、追いつきまた写真を撮ります。これを繰り返しながら17Kmを歩くと、右足のふくらはぎが疲労を訴えはじめました。


《第2日目》涸沢小屋〜北穂高岳〜涸沢岳〜穂高岳山荘・高低差801m/約3.5Km 

←涸沢小屋テラス
翌朝はガスが抜けて早朝から涸沢カールを取り囲む穂高の峰々が顔を出しました。 5:00朝食・6:20出発です。

涸沢岳3110m→
穂高連峰の主な岩峰は、涸沢カールを中心に半円を描いている。見上げると頭上に迫る涸沢岳の険しい岩場です。 その右肩には鋭く尖った涸沢槍が見張っています。縦走路としては一級の悪さと山岳書に記されています。 果たして走破できろだろうか?
一行はそんな心配もせず快晴の北穂高東稜を登り、穂高の峰々を眺めながら北穂を目指しました。



←前穂高岳3090m
前穂の西北は涸沢カールが見事に削り取った岩壁です。 その峰の上部は、上から1峰、2峰、3峰,4峰、5峰まであり、 岩登りの感覚が楽しめる人気のルートだそうです。 その雲間に富士山が顔を出していましたが、写真では見えません。

北穂高岳登頂記念3106m→
山頂からの眺めは360°ワンダフルでした。すぐ下が北穂高小屋で、山頂はヘリポートとして利用されていました。 写真の後方は槍ヶ岳です。


←槍ヶ岳3180m

岩峰は一車線→
このような峰をいくつも超えますが、しばしば対向車が出現します。 この程度ならお互いの情報交換など楽しみながら分かれます。後方は、常念岳です。


←涸沢槍の北壁
この壁を楽しみながら登頂です。好天気のお陰と思われます。 ここでも渋滞が発生中で、私は下から皆さんの登坂状況を眺めて楽しんでいました。

涸沢槍の北壁→
そこを横から見るとこんな感じの岩壁でした。 ここで、天候が急変したら難儀です。それでも登りきらなければ生還できません。


←涸沢岳記念3110m
ここからは、眼下に穂高岳山荘です。目前の奥穂をながめながら明日の登頂に心が弾みます。

奇峰ジャンダルム→
そこは西穂ルートへの関所です。ジャンダルムとは、前衛峰、門番という意味のフランス語。
穂高岳山荘で、私の隣の畳で同宿した東京の岳人63歳は、明日この関所を攻略するために、ウエイトリフティングで上半身も鍛えた。 40年前に登ったが、どうしても再登したいという。(しかし、翌日は悪天候で断念)


《第3日目》穂高岳山荘〜奥 穂高岳〜紀美子平〜前穂高岳〜紀美子平〜岳沢ヒュッテ〜河童橋・高低差1690m/8Km  悪天候のため撤退(中止)

←奥穂登頂出発記念
6:20出発です。天候は夜半から風雨激しくおさまらぬままです。 これが最後の記念写真にならねばよいが、不安がよぎります。

突撃→
視界は20m位OKです。しかし、谷から吹き上げるガスと強風はすさまじく、台風のようです。 私は、カメラをバックの中に収めました。奥穂の登りは、最初から鎖場と鉄ハシゴの垂直登攀です。 30m程登るとバックカバーは風をはらみハシゴを登る隊員の悲鳴を確認しました。 私は、これは無理と判断し大声で撤退を告げました。しかし、 上はガスが抜けるという判断もあり撤退しません。しばらく様子を見ていると、今度は撤退するという。 なぜかと聞くと、大学山岳部の若者3名が、今日は無理だといって下山してきたという。 健脚組みも、山岳部には弱いようでした。 私は、山岳部のお陰で一行の安全が守られてラッキーであったと思いました。


《第3日目・変更ルート》穂高岳山荘〜 涸沢小屋〜本谷橋〜横尾山荘〜明神〜河童橋・高低差1483m/18.5Km 

←涸沢小屋
穂高岳山荘から涸沢小屋へは、ザイテングラード(ドイツ語、側稜の意)を下ります。 山荘のテラスから眺める限りでは緩やかな感じでしたが、 実際に雨の中を歩いて見るとかなり急な岩場が続きました。標準タイム1:50を1:42での下山でした。

梓川と岳沢→
この写真の上流の沢が岳沢です。当初のルートは、前穂からこの沢を下り河童橋です。 一行は、この沢を眺め来年の西穂・奥穂再挑戦に思いを馳せていました。

変更ルートの18.5Kmの所要時間は、標準タイム8:00に対して7:35です。歩行タイムのみでは、6:02です。 さらに驚いてはいけませんよ。30Km走破の最終段階で、横尾から河童橋間11Kmの歩行時速は5.55Km/Hrでした。 3日間で30Km走破した下山後、皆さんに疲れましたかと質問したら、誰1人疲れたという人はいませんでした。

私は、カメラマンとして参加しました。不慣れなために重いバック(約13Kg)を背負って、 総重量はなんと90Kgです。初日に右足のふくらはぎが凝りだして痛くなりました。 心配でしたが、皆さんからシップ薬などいただきなんとか皆さんと共に行動することが出来ました。 そして、皆さんと共に貴重な体験が出来、無事に生還できたことをうれしく思っています。 ありがとうございました。


←ミヤマアキノキリンソウ
・涸沢から上高地間の路肩に咲き誇っていました。
 写真をクリックし観察してください。
 アワダチソウでも上高地に咲けば幸せそうですね。
・自生地:各地の 山野の向陽地
・別名:アワダチソウ
・科名:キク科の宿年草
・花期:8〜10月



《取材を終えて》
@健脚者とは、疲れない人。早く歩くことが生きがい。
A登山者は、時間を大切にします。無駄を嫌います。
Bこのような山域での健脚者の縦走登山に、一般人の参加は双方が悲劇。
C健脚者は日々努力中。特別参加のK夫妻は、朝食前に毎朝1時間で5Km歩く。
D装備重量を軽くする努力。ベテランは余分なものを持って行かない。
小屋泊りの場合は、極限は雨具のみでOK、後は現地調達可能。
E2泊3日縦走の持久力の目安は、猿投山で、神社と雲興寺間11Kmを8時間で往復。
これを連続2日間できるレベル。
F歩行中の写真撮影は命取り。遅れ挽回は疲労を早め、事故のもと。


****《2003年度 山行プラン&記録 へ戻る》****