鹿児島県熊毛郡上屋久町・世界自然遺産
縄文杉トレッキング 1350m
Jul 31. 2003

←縄文杉・推定樹齢7200年

屋久島の象徴”縄文杉”を訪ねるときが来ました。荒川登山口から縄文杉までの往復21Kmに10名で挑戦です。

屋久島の日の出は、名古屋より30分遅れです。真っ暗闇の5:00に民宿『杉の里』からヴィッツ3台が発進しました。 途中、近くの弁当屋に立ち寄り、昨夜注文の弁当を受け取り荒川登山口を目指しました。5:40分到着です。 朝食中に空が明るくなり、出発時は青い空が広がります。全員に笑顔が浮かび、6:15足取りも軽く出発しました。 縄文杉到着目標は11:30です。



合成写真:やまびこ会の後藤さん、2003.7.31撮影・提供

《縄文杉》
・樹齢:7200年、諸説ありますが、中は空洞で、正確な推定は困難のようです。
・大きさ:樹高 30m、 根廻り 43m、(根羽の大杉の何倍もありそうです)

《詳細は》
『世界遺産屋久島』をご覧下さい。



山歩きマップ & タイム

《登り》
@荒川登山口 6:15発
A小杉谷事務所跡 6:57着・7:05発
B楠川分かれ  7:33着・7:35発
C大株歩道入口 8:50着・9:00発
Dウイルソン株 19:30着・9:50発
E大王杉 10:55着
F縄文杉 11:30着・昼食

《下り》
G縄文杉 12:30発
H大王杉 13:08着・13:35発
Iウイルソン株 14:15着
C大株歩道入口 14:55着・15:05発
B楠川分かれ 16:11着
A小杉谷事務所跡 16:40着・16:50発
@荒川登山口 17:36着

・所要時間 : 登り=5時間15分・下り=5時間5分
・総所要時間 : 11時間21分(記念写真・昼食を含む)



←荒川登山口

登山口へは、R592を進み、ヤクスギランド手前の荒川分かれを右折し、荒川林道に入ります。 左手に尾立ダムを見てヘアピンカーブを2つほど過ぎると到着です。
3台のヴィッツは、駐車係りの指示に従いそれぞれに納まりました。


←トロッコ道
登山道の70%は軌道上の木道か枕木で傾斜も緩やかです。
また、高めの鉄橋には安全対策の柵が付取り付けてありました。

小杉谷事務所跡→
休憩所には、昭和45年の閉校記念運動会の様子、校歌、木材の運搬状況、 小杉谷の半世紀の年表などの資料が掲示されていました。


←奥山の岩峰
お山は快晴のようです。今日、宮之浦岳へ行けばよかった。残念!

大株歩道入口
出来たばかりの立派なトイレ。常時水洗式でVery good.


ここから大株歩道で、アップダウンの連続です。

←ヒメシャラの巨木
の根を乗り越え、

翁杉→
険しい登山道に入り、最初に対面が出来る巨木です。 樹齢2000年。



←ウイルソン株
樹齢3000年、根廻り32m、胸高直径4.39m古株の中は空洞になっていて、 小川が流れて広さは10畳ほどの大きさです。1586年(天正5年)牧村の五郎七が足場を組、 豊臣秀吉の命令により京都の方向寺建立の為に切ったとされています。
米国のウイルソン博士によって世界に知らされたのでこの名がついています。 「翁杉」を過ぎて10分程の場所にある。
ウイルソンさんが見に来る前は大株という。従って、ここに至ルートを大株歩道と呼ぶ。

大王杉→
根廻り43m、樹高24.7m、樹齢3000年、胸高直径3.53m、縄文杉が見つかるまで、 屋久島でもっとも巨樹として君臨していた。


←大株歩道
このようなアップダウンが2Km弱続きます。

夫婦杉→
樹齢2000年、どちらか一方から出た脇枝が相手の幹に喰い込まれて、 手をつないだ姿をしているのでこの名前がついています。


←縄文桟敷入口
この階段を登ると、縄文桟敷です。

縄文杉到着記念→
現在、縄文杉は一般の人の手には触れることができません。
というのも、木の廻りを皆伐されたため、多量の雨と強風により土が流され根が露出し、 さらには登山者が根を踏みつけるという状況が縄文杉を倒壊の危機に直面させていたからです。
現在は、木の15mほど手前に設けられた桟敷から望めるようになっています。


←縄文杉の試し切り(江戸時代)
縄文杉奥で、昼食をとった場所のヤクスギです。中ほどの穴が、江戸時代に試し切りをした跡です。

当時ヤクスギの伐採は、きこりの頭領以下数人で、櫓を組んで、何日もかかって倒したそうです。 折角切り倒したが使い物(平木)にならなかったら大変です。 そこで、何箇所も試し切りし、品定めしてから取りかかったそうです。

このヤクスギは、一見素性がよさそうに見えますが?不合格です。そのお陰で、今も健在です。

ヤクスギ登山隊10名は、この杉香りの中で弁当を食べ、 しっかり記念写真を撮って、縄文杉横の湧き水をしっかりペットボトルに詰めて、 到着1時間後の12:30に下山開始しました。


宮之浦風景(宮之浦川と田代別館)→
屋久島登山隊の最後の宿泊地は、宮之浦河畔の田代別館です。
下山途中、大王杉直下で、隊員1名が転倒し、左手首骨折という重大事故が発生しました。 しかし、適切な応急手当で、自力で下山できました。そして、 屋久島での最後の晩餐会を11名全員で行うことが出来ました。事故が発生してしまいましたが、 隊員の満足度は100%以上です。

夕食後の二次会もすませた深夜、この宮之浦川のほとりの公園で、 満天の星空を仰ぎ登山旅行を締めくくりました。

《宮之浦川》
宮之浦川は、宮之浦岳の北斜面を源流として、多くの谷を集め、 僅か十数キロで堂々とした大河をなしていました。清澄にして豊かな水量は驚くばかり、 奥山の大自然の恵みです。

《伊能忠敬の記念碑》
屋久島は、忠敬測量の最南端地点、200周年を記念・・・平成12年6月




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