西尾市の茶臼山風景
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茶臼山は、西尾市の東端で、旧幡豆郡吉良町と額田郡幸田町に隣接する小高い山並みの一つである。
西尾市は、矢作川の下流域の沖積層であり、山塊はないものと思っていたが、
出かけてみると豊かな自然と立派なハイキングコースが整備され、平日でも多くの市民が集い自慢する。
今回は、やまびこ会にとってH23年度を締めくくる忘年登山と吉良温泉での忘年会です。
参加者は、各地の山をなんとか無事に歩き終えた善男善女18名です。その取材記をご覧ください。
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写真説明、
一色のさかな広場北側・一色大橋西詰道路上からの眺め、NTTの中継塔左のピークが茶臼山、15:35撮影
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@コース案内(カシミール3D):
マップ・
断面図・
平原の滝(里)周遊案内図
A登山口:無の里P
Bコース:無の里P⇒平原の滝⇒展望台⇒山頂 ・周回
C総所要時間: 2.5時間/約3Km
・登山口・無の里P 09:09
無の里Pは、平原(ひらはら)の滝周遊路と茶臼山の登山口でもあり、平日でも近郊のシニアーで賑やかです。
先ずは、思い思いに少し離れた所のWCへ、ハイキングコースの案内板を眺め、ニコニコ顔で出発です。
・名残紅葉 9:10
立派な導入路、
案内板には西尾市観光協会の電話番号が誇らしい。
・キャンプ場 9:20
左右は、落ち葉で埋もれたキャンプ場、
・薬師堂へ 9:21
周遊路は、公園の歩道のようです。
・平原の滝(その1) 9:22
茶臼山の沢水を半割の竹樋を並べ、落下させます。
この滝は、平原町(ひらはらちょう)の自慢です。清和天皇の御世(858〜875)に発見されたといい、飲めば長寿、打たれれば難病も治るという。
何故、竹樋落下滝にしたかが理解できました。
・平原の滝(その2) 9:25
竹樋落下滝の上に薬師堂があり、そこから、沢水を落とします。
・203展望台 9:45
周遊路を登りきると、右203展望台、左山頂の標識です。
203は海抜で、
中国北東部の遼東半島南端の
203高地から、旅順港のロシア艦隊を攻撃した帰還兵が名付け親か?
・203展望台風景 9:50
西尾市街、遥かに岡崎市街を望む、右中央の白線は、R23で右が蒲郡方面です。
右側の山並みの向こうがデンソー西尾工場、
203高地もこのような眺めか?
・西尾市の地籍 10:07
山頂近くの鞍部に、西尾市・地籍の標識、
地籍とは、土地の戸籍のことをいう。このような標識は珍しい。
ここは、昔から西尾藩の領地なのだ、廃藩置県の当初は西尾県と額田県の境界であったと思う。
その後、昭和27年に西尾市となり、入り組んだ紛らわしい境界域に設置されたと思う。
西尾市は、H23年4月1日に、幡豆郡一色町、吉良町、幡豆町と合併し領地を拡大した。
・NTT中継塔 10:24
山頂を通過し、少し下がったところに、NTT DoCoMoの電波中継塔が2本建つ、見晴らしがいいのだ、
しかし、現在は衛星通信の時代でアンテナは撤去、登山者は三河湾、三ヶ根山を眺める。
・茶臼山記念 10:37
山頂は、こんもりしているが見晴らしはよくない、しかし、冬場は樹間からの展望は可能、
・三等三角点 10:39
山頂の三角点、基礎がしっかりしていた、
・下山 10:50
下山は、しばらくは緩やかな尾根道、分岐から、平原の滝への沢筋を下る、そこは、登山靴が必要な険しい下りで、しばし渋滞した。
無の里P到着は、概ね予定通りの11:30となった。
・旅館やまと・忘年会会場 12:00
さあ、温泉プラス宴会だ、
・吉良ワイキキビーチ 12:01
旅館の玄関前からの眺め、
海岸線の向こうは、西浦半島です。
・忘年会終了記念 15:04
恒例の忘年会は滞りなく終り、ほろ酔いの一行、旅館やまとの玄関前で、
1年間15山の登山&諸活動ご苦労さんでした、お疲れさん。
帰路は、一色の”さかな広場”経由での帰豊となりました。
皆さん、来年も元気で歩きましょう。よいお年を、
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《取材メモ》
忘年登山に参加し、取材して、
1、参加状況について
取材記者は、やまびこ会に参加して11年が経過した。特別に用事がない限り参加するように努めてきたが、
行事が重なり、体力的にも無理は禁物で参加回数が減少している。
会計のOさんが集計した”H23年度やまびこ山歩き参加表”(取材記者の参加回数8⇒10に訂正)によると、
・年間山行15回中の会員参加率は、63%
・参加ランキング1位:14回 2人、2位:13回 4人、3位:12回:2人、4位:11回:1人、5位:10回:4人
・取材記者は5位:10回(22人中10位タイ)で、参加率67%
2、H24年度の取材記者の参加目標は、60%以上
3、登山の安全について
会員の転落事故もあり、忘年会で登山の安全確保について話題になった。
幸い後遺症もなく復帰されたが、原因は、下山時に遅れが出て急ぎ足となり、つまずいての転倒転落という。
取材記者は、かねてから、やまびこは”登りは遅いが下山が早い”とそれとなく警告していたが、的中した。
高齢化が進む中で、疲労した下山時の早足は重大事故に直結します。来年は、一層のゆっくり下山で安全を確保するように提案します。
やまびこ川柳
”やまびこの 下山早いは 事故のもと”・・・最後からゆっくり下山の取材記者
皆さん、Friendさん、お元気で
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