宝永第一火口風景
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宝永山(ほうえいざん)は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山で,標高は2,693mである。
やまびこ会は、新東名一部開通を記念し、最新の高速道路の諸施設見学を兼ねて新富士IC経由で、富士宮口5合目登山口を目指した。
難易度は、一般向きハイキング4時間コースで、参加者は17名(内ゲスト1名)、
一行は、台風一過の快晴下、5合目登山口Pから秋色の富士山麓を堪能し、火口を眺め、火山砂礫の急登に挑み全員無事に山頂に立った。
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写真説明、
宝永第一火口縁から火口を目指す一行、中央の稜線が宝永山馬の背、右方のピークが宝永山、
・10:24, N さん撮影(クリックで拡大写真)
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@コース案内:
マップ(カシミール3D) &
ルート断面図
A登山口:富士宮口新5合目登山口P
B総所要時間:4時間/距離:往復6.13Km・累積標高差 ±541m(往復1500歩)
・富士宮口新5合目P 9:32
豊田市を5:30発、三ヶ日JCT から新東名、新富士IC経由で 9:30 5合目P着、快晴、
・富士山麓の秋 9:33
5合目マイクロバスPから、7,8合目の秋を仰ぎ、レストハウス前の登山口へ
・登山口のマップ 9:48
マップをクリック拡大して、宝永山の位置を確認ください、
・登山口 9:49
標高を確認し、表富士登山道6合目へ、
・草紅葉 10:01
近年温暖化で繁茂する夏草(オンダテ、イタドリなど)の紅葉を眺め、富士の冷気を味わい、軽快な足取り、
・新6合目 10:09
小休止、雲海荘の奥さんと会話が弾む、同年代か?、ここが一番いいが月末には下界へ降りる。
この奥に、宝永山荘がある。ここは、4度めだがいつも雲海で下界は見えない。
この次期の、この時刻に、富士山頂からの下山者、これから登るベテランに遇う。
連日山頂まで日帰りで登る人もいるという。
7合目から上の山小屋は既に休業なのだ、びっくり、
・宝永火口へ 10:18
新6合目を直進(左折すると山頂へ)し、火口を目指す。
・宝永山の頭 10:26
ここから、右手に第二火口を眺め、第一火口縁へ下る。
左上が宝永山の頭、
・火口の秋 10:27
右手に第二火口を見ながら少し下る。
火口にこのような植物が繁殖する、4年前に通ったが記憶にない。
・火口の秋アップ 10:27
見事なパッチワーク、
1万年後は、樹海となるかも、
・宝永第一火口縁 10:29
ここが、火口の入口、約70mほど下ると火口底、
・宝永第一火口縁 10:34
巨大な火口縁まで、草木が迫る。
この逆ドームの体積が火山灰となって天空に舞い、江戸の町へも、
この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされたという。
上部の溶岩は、太古の溶岩が露出したと思われる。(宝永火山での溶岩流はあまり聞かない)
・宝永第一火口 10:35
火口底一帯にも、植物が繁殖する。
よく見るとアザミの花が夏の終わりを告げる。
ここから、トレイルが宝永山の馬の背へ延びる。
・火口底標識 10:36
そこには、
火口説明版もある。
・火口底 10:37
そこには、休憩用ベンチがあり、ロープが張られハイカーを山頂へ導く、
火口奥壁の眺め 10:38
火口には溶岩が散乱し、奥壁を仰ぐとその巨大さを実感する。
底部には、夏草の紅葉が目立つ、
手前の石は、溶岩流の断片、
・宝永山馬の背へ 10:44
一直線に伸びる先が馬の背、そこへの平均斜度をカシミール3Dで解析すると17度、結構きつい勾配である。
途中2回ほどジグザグするが一旦尾根に上がり、右へ折り返して緩やかに山頂へ、
・健脚もへばる? 11:05
平均斜度は17度、20度の場所もあると思う。
小休止、
・急登は続く 11:21
数名が遅れたが、問題はない。マイペースが登頂成功の秘訣なのだ!
・トレイルは急勾配の砂丘 11:28
火山灰の砂礫の急登は続く、この辺りの斜度がピークかも、
・山頂 11:35
登頂成功、おめでとう!
ただし、下界は雲の中、
・山頂の標識、方位盤 11:36
山頂は富士の冷気が駆け抜ける、皆さん一斉に防寒装備に変身し、方位盤を囲む、
・山頂の標識、方位盤アップ 11:36
宝永山山頂、標高 2.639m が刻まれ、南・伊豆半島、東・東京・・・
・登頂記念 11:42
富士山を背に、全員の登頂を喜ぶ、
強風下の取材です、カメラの転倒防止で、三脚を砂中に差し込み、雲の切れ間を狙い
なんとか成功!
しかし、目前のロープに気付かず。
・登頂記念 11:46
登頂を喜ぶゲスト、
今年は、宝永山、来年は富士山挑戦か?
・山頂撤退 11:52
山頂は、冷気が駆け抜ける、
ここででランチと思っていたが、滞在時間僅か17分で早々に撤退始まる。
取材記者、防寒装備の時間なし、
・溶岩流の断片 11:54
山頂付近の第二火口側の急斜面に、このような溶岩の破片が転がる。
太古の溶岩が、吹き上げられ大きなものは火口周辺に落下したと思われる。
いつ転げ落ちるか?きわめて危険なエリアのようだ、
・宝永山南東肩 11:55
東南面は、太古からの赤色溶岩が露出したー(古富士の表面)、山頂のロープはそこへ近寄るな危険!を告げる。
・下山 11:55
下山は、馬の背を左折し、急勾配を砂煙をあげて脱兎のごとく火口底へ、
下山は車間距離を十二分にとらないと、後続のハイカーは砂塵をかぶる。
・ランチ 12:20
火口は、風もなく穏やか、ベンチもあり思い思いにランチタイム、
取材記者は、静岡市から来た高齢男性2人組をテーブル付のベンチに誘い情報交換会となった。
静岡市の津波避難場所は確保できましか?
はい、
旧東名以南居住者は、旧東名路上へ逃げる。
旧東名以北居住者は、新東名路上へ逃げる よう行政指示が出た。
男性は、旧東名の100m北に住み、新東名は遠く逃げ切れないという。
彼は、ルールを守るべきか、守らざるべきか、To be or not to be
・アザミ 13:08
火口付近の砂礫に根を張り花を付ける生命力に驚く、
富士山は、火山砂礫で、保水もなく高山植物は育たないというが、
アザミは乾燥地に強いようだ、
・宝永山荘見ゆ 13:18
高速下山の後、火口底ランチを済ませ、疲れも取れて新6合目の宝永山荘を目指す一行、
・下山 13:44
5合目のレストハウスへ全員無事に下山、お疲れさん、
《おまけ》
この写真は、5合目のレストハウス前(山側)の治山工事です。
何故、落石防御壁を壊すのか聞いてみた、
答え、
2009年の夏、ここに駐車していたキャンピングカーの男性が落石で即死した。
その対策でこの防御壁(鉄筋入りコンクリート壁の中に富士の火山土を入れた)
を増設したが今冬の雪崩で、防御壁の一部が損壊し、直下の交番も倒壊したので取り壊し、再構築するという。
富士山の治山工事も、津波の防潮堤も効果はないようだ、人類は自然には勝てない、しかし、自然遺産破壊工事は進む。
おわり、
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《取材メモ》
今回の登山に参加し、取材して、
1、宝永大噴火
この大噴火では、溶岩の流下はなく、噴煙は、当初白灰、後黒灰となり広範囲に多量の降灰が見られたようだ。
歩いてみると、所どころに溶岩流の断片が転がっているが、地表にあった太古の溶岩が大爆発で吹き飛ばされて、
大きな断片は近くに、小さな断片は遠くに飛ばされたようだ、
火口底には最大級で鉄分の多そうな重そうな断片が転がっていた。
2、火山砂礫と保水
富士山は全山火山砂礫と溶岩と思えます。台風一過のハイキングであったが火口底もからからであった。
よって、富士山への降雨水は一瞬にして地中深くへ浸透し、可及的速やかに駿河湾へながれるように思えるが、
100年かかり柿田川から駿河湾へ流れるという。
何故100年も滞留しているのか?高齢の取材記者は想像した。
山中には、広大な裾野には、青木ヶ原樹海の地層には、100年分の保水機能があり、順次、流すと100年待たされるのか?、
よって、富士山に降った雨は、100年待たなければ人類は飲むことも、見ることも出来ないのだ。
そして、100年後に放射能汚染水が確認され、問題となり、柿田川の名水は除名され、脱原発が再び討議される。
そうなることを、野田内閣は想像できないのだ、”近いうち”のことしか関心がないのだ。
3、巨大地震と富士山噴火
富士山のもっとも新しい大噴火跡を取材したが、次回噴火の予兆の手掛かりとなる取材は出来なかった。週刊誌の見出しによると、
巨大地震と富士山噴火『これが生死の分かれ目だ』といい、危機意識をあおる。
しかし、現地を取材すると、近いうち(野田内閣解散次期)には大爆発は起きないと思う。
やまびこ川柳
”富士登山 日課としている 中高年”・・・毎日はいけません、羨ましがる正社員
”宝永山 台風一過 砂ぼこり”・・・やまびこかい参加者一同、
”新東名 トイレツアーは 爽快だ”・・・立派なトイレに驚く、バスツアー中高年、
皆さん、Friendさん、お元気で
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