静岡県富士宮市/富士市/御殿場市
宝永山・2693m 
Oct 2. 2012

宝永第一火口風景

宝永山(ほうえいざん)は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山で,標高は2,693mである。

やまびこ会は、新東名一部開通を記念し、最新の高速道路の諸施設見学を兼ねて新富士IC経由で、富士宮口5合目登山口を目指した。
難易度は、一般向きハイキング4時間コースで、参加者は17名(内ゲスト1名)、 一行は、台風一過の快晴下、5合目登山口Pから秋色の富士山麓を堪能し、火口を眺め、火山砂礫の急登に挑み全員無事に山頂に立った。

写真説明、
宝永第一火口縁から火口を目指す一行、中央の稜線が宝永山馬の背、右方のピークが宝永山、
・10:24, N さん撮影(クリックで拡大写真)


@コース案内: マップ(カシミール3D) &  ルート断面図
A登山口:富士宮口新5合目登山口P
B総所要時間:4時間/距離:往復6.13Km・累積標高差 ±541m(往復1500歩)


・富士宮口新5合目P 9:32

豊田市を5:30発、三ヶ日JCT から新東名、新富士IC経由で 9:30 5合目P着、快晴、

・富士山麓の秋 9:33

5合目マイクロバスPから、7,8合目の秋を仰ぎ、レストハウス前の登山口へ



・登山口のマップ 9:48

マップをクリック拡大して、宝永山の位置を確認ください、



・登山口 9:49

標高を確認し、表富士登山道6合目へ、



・草紅葉 10:01

近年温暖化で繁茂する夏草(オンダテ、イタドリなど)の紅葉を眺め、富士の冷気を味わい、軽快な足取り、

・新6合目 10:09

小休止、雲海荘の奥さんと会話が弾む、同年代か?、ここが一番いいが月末には下界へ降りる。

この奥に、宝永山荘がある。ここは、4度めだがいつも雲海で下界は見えない。

この次期の、この時刻に、富士山頂からの下山者、これから登るベテランに遇う。 連日山頂まで日帰りで登る人もいるという。

7合目から上の山小屋は既に休業なのだ、びっくり、

・宝永火口へ 10:18

新6合目を直進(左折すると山頂へ)し、火口を目指す。



・宝永山の頭 10:26

ここから、右手に第二火口を眺め、第一火口縁へ下る。

左上が宝永山の頭、

・火口の秋 10:27

右手に第二火口を見ながら少し下る。

火口にこのような植物が繁殖する、4年前に通ったが記憶にない。


・火口の秋アップ 10:27

見事なパッチワーク、

1万年後は、樹海となるかも、

・宝永第一火口縁 10:29

ここが、火口の入口、約70mほど下ると火口底、


・宝永第一火口縁 10:34

巨大な火口縁まで、草木が迫る。

この逆ドームの体積が火山灰となって天空に舞い、江戸の町へも、

この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされたという。

上部の溶岩は、太古の溶岩が露出したと思われる。(宝永火山での溶岩流はあまり聞かない)

・宝永第一火口 10:35

火口底一帯にも、植物が繁殖する。

よく見るとアザミの花が夏の終わりを告げる。

ここから、トレイルが宝永山の馬の背へ延びる。

・火口底標識 10:36

そこには、 火口説明版もある。

・火口底 10:37

そこには、休憩用ベンチがあり、ロープが張られハイカーを山頂へ導く、



火口奥壁の眺め 10:38

火口には溶岩が散乱し、奥壁を仰ぐとその巨大さを実感する。

底部には、夏草の紅葉が目立つ、
手前の石は、溶岩流の断片、

・宝永山馬の背へ 10:44

一直線に伸びる先が馬の背、そこへの平均斜度をカシミール3Dで解析すると17度、結構きつい勾配である。

途中2回ほどジグザグするが一旦尾根に上がり、右へ折り返して緩やかに山頂へ、



・健脚もへばる? 11:05

平均斜度は17度、20度の場所もあると思う。

小休止、



・急登は続く 11:21

数名が遅れたが、問題はない。マイペースが登頂成功の秘訣なのだ!



・トレイルは急勾配の砂丘 11:28

火山灰の砂礫の急登は続く、この辺りの斜度がピークかも、



・山頂 11:35

登頂成功、おめでとう!

ただし、下界は雲の中、

・山頂の標識、方位盤 11:36

山頂は富士の冷気が駆け抜ける、皆さん一斉に防寒装備に変身し、方位盤を囲む、

・山頂の標識、方位盤アップ 11:36

宝永山山頂、標高 2.639m が刻まれ、南・伊豆半島、東・東京・・・

・登頂記念 11:42

富士山を背に、全員の登頂を喜ぶ、

強風下の取材です、カメラの転倒防止で、三脚を砂中に差し込み、雲の切れ間を狙い なんとか成功!

しかし、目前のロープに気付かず。

・登頂記念 11:46

登頂を喜ぶゲスト、
今年は、宝永山、来年は富士山挑戦か?

・山頂撤退 11:52

山頂は、冷気が駆け抜ける、
ここででランチと思っていたが、滞在時間僅か17分で早々に撤退始まる。

取材記者、防寒装備の時間なし、

・溶岩流の断片 11:54

山頂付近の第二火口側の急斜面に、このような溶岩の破片が転がる。

太古の溶岩が、吹き上げられ大きなものは火口周辺に落下したと思われる。 いつ転げ落ちるか?きわめて危険なエリアのようだ、

・宝永山南東肩 11:55

東南面は、太古からの赤色溶岩が露出したー(古富士の表面)、山頂のロープはそこへ近寄るな危険!を告げる。



・下山 11:55

下山は、馬の背を左折し、急勾配を砂煙をあげて脱兎のごとく火口底へ、

下山は車間距離を十二分にとらないと、後続のハイカーは砂塵をかぶる。



・ランチ 12:20

火口は、風もなく穏やか、ベンチもあり思い思いにランチタイム、

取材記者は、静岡市から来た高齢男性2人組をテーブル付のベンチに誘い情報交換会となった。

静岡市の津波避難場所は確保できましか?
はい、
旧東名以南居住者は、旧東名路上へ逃げる。
旧東名以北居住者は、新東名路上へ逃げる よう行政指示が出た。
男性は、旧東名の100m北に住み、新東名は遠く逃げ切れないという。
彼は、ルールを守るべきか、守らざるべきか、To be or not to be

・アザミ 13:08

火口付近の砂礫に根を張り花を付ける生命力に驚く、

富士山は、火山砂礫で、保水もなく高山植物は育たないというが、 アザミは乾燥地に強いようだ、



・宝永山荘見ゆ 13:18

高速下山の後、火口底ランチを済ませ、疲れも取れて新6合目の宝永山荘を目指す一行、



・下山 13:44

5合目のレストハウスへ全員無事に下山、お疲れさん、

《おまけ》
この写真は、5合目のレストハウス前(山側)の治山工事です。 何故、落石防御壁を壊すのか聞いてみた、

答え、
2009年の夏、ここに駐車していたキャンピングカーの男性が落石で即死した。 その対策でこの防御壁(鉄筋入りコンクリート壁の中に富士の火山土を入れた) を増設したが今冬の雪崩で、防御壁の一部が損壊し、直下の交番も倒壊したので取り壊し、再構築するという。

富士山の治山工事も、津波の防潮堤も効果はないようだ、人類は自然には勝てない、しかし、自然遺産破壊工事は進む。   おわり、



《取材メモ》
今回の登山に参加し、取材して、

1、宝永大噴火
この大噴火では、溶岩の流下はなく、噴煙は、当初白灰、後黒灰となり広範囲に多量の降灰が見られたようだ。

歩いてみると、所どころに溶岩流の断片が転がっているが、地表にあった太古の溶岩が大爆発で吹き飛ばされて、 大きな断片は近くに、小さな断片は遠くに飛ばされたようだ、 火口底には最大級で鉄分の多そうな重そうな断片が転がっていた。

2、火山砂礫と保水
富士山は全山火山砂礫と溶岩と思えます。台風一過のハイキングであったが火口底もからからであった。

よって、富士山への降雨水は一瞬にして地中深くへ浸透し、可及的速やかに駿河湾へながれるように思えるが、 100年かかり柿田川から駿河湾へ流れるという。

何故100年も滞留しているのか?高齢の取材記者は想像した。

山中には、広大な裾野には、青木ヶ原樹海の地層には、100年分の保水機能があり、順次、流すと100年待たされるのか?、 よって、富士山に降った雨は、100年待たなければ人類は飲むことも、見ることも出来ないのだ。 そして、100年後に放射能汚染水が確認され、問題となり、柿田川の名水は除名され、脱原発が再び討議される。

そうなることを、野田内閣は想像できないのだ、”近いうち”のことしか関心がないのだ。

3、巨大地震と富士山噴火
富士山のもっとも新しい大噴火跡を取材したが、次回噴火の予兆の手掛かりとなる取材は出来なかった。週刊誌の見出しによると、 巨大地震と富士山噴火『これが生死の分かれ目だ』といい、危機意識をあおる。

しかし、現地を取材すると、近いうち(野田内閣解散次期)には大爆発は起きないと思う。

やまびこ川柳

”富士登山 日課としている 中高年”・・・毎日はいけません、羨ましがる正社員

”宝永山 台風一過 砂ぼこり”・・・やまびこかい参加者一同、

”新東名 トイレツアーは 爽快だ”・・・立派なトイレに驚く、バスツアー中高年、

皆さん、Friendさん、お元気で




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