初冬の丸山千枚田
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やまびこ会は、三重県最奥の地、南牟婁郡御浜町(現在は熊野市)と熊野市紀和町の境にある熊野古道・風伝峠(世界遺産10周年)と
その先の山間に保存される丸山千枚田をめざし、6:30に豊田市を出発した。
そこへのアクセスは、高速道路の整備が進みましたが、片道、約240Km・所要時間4時間のワンディーハイクの限界です。
当日の参加者は、好天気にも恵まれ最多級の20名(内ゲスト2名)、初めてのコースと帰路の”サンマとカマスの干物”の買い物を楽しんだ。
一行の、足取りを長々と報告します。
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写真説明、
通り峠上200mの千枚田展望所からの眺め、13:11 撮影
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@コース案内(熊野古道・風伝峠〜丸山千枚田):
マップ・
C総所要時間: 4時間02分/約 8Km・15,000歩
・登山口 10:56
さきりの里P
ここは、熊野古道地域センター”さきり(朝霧)の里”農産物直売所
バスを止め、お店を覗き、出発準備、
・風伝峠へのスタート地点 11:03
さきりの里、からR311を400mほど逆行し、標識を確認、
・上野の大杉 11:10
スタート地点から、尾呂志の集落を巡る。
写真クリックで、もとの大杉は明治18年に焼失し、もっと巨大であったという説明版、
・尾呂志の集落 11:13
熊野古道も、この集落を辿ったと思われる。
・尾呂志の集落 11:19
獣害防止柵、
・風伝峠への石碑 11:26
国史跡、熊野参詣道伊勢路、熊野道の文字、
・往時の古道 11:34
苔むす石積み、スギ木立、
・古道の道標 11:35
数字の意味は?
古道15町を5町進んだ地点?(1町=109m )
下の数字は、消防、警察への電話番号、
・文化庁の石碑 11:37
1町先に、文化庁、世界遺産認定記念か?
御浜町は、現在は熊野市、
・近畿自然歩道の標識 11:38
一旦、車道に出る、風伝古道の方向を示す。
古道を車道が寸断し、分かりにくいのでありがたい。
・風伝峠道の説明版 11:48
風伝トンネルが出来るまでは、本宮道、北山道、十津川道が合流する重要拠点の地であった・・・
あとは、クリック拡大で確認を、
・風伝峠へ 11:48 N撮影
車道・御浜紀和線 R 62 から古道へ、スギ木立を抜け風伝峠へ、
・法界塔 11:50
峠の古道に建つ、往時の行き倒れの死者の霊が宿るようだ、
現代は、墓地に無縁法界塔、お金を出せば入居できるようだ、
・風伝峠 11:52
さきりの里を出発して、56分経過、
・石畳 11:57
世界遺産の石畳を行く、
・石畳 12:10
古道のコケ、ここを歩くハイカーは多くはなさそう?
すぐ下に車道が走る、
・風伝峠下り N撮影
一旦、車道に出て、左へ下る。
そこは、風伝の道、
強風による倒木多し、
・左、通り峠 12:11
風伝トンネル出口の近くに建つ、
林道を進み、通り峠登山口へ、
・風伝トンネル 12:13
R 311 の風伝トンネルは、H 2年(1990.4)開通、1.035m
このトンネルは、風伝峠の少し北側を抜け、ここで古道と合流、
・千枚田看板 12:14
通り峠入り口まで、800m を目指す。
・通り峠 13:00
林道入り口からは、急な登り、
あづまや、子安地蔵がある。休憩、
・千枚田展望所へ 13:00
更に、急な登りが続く、
・丸山千枚田展望所 13:10
到着、そこは、風伝の吹上(強風)
千枚田を、眼下に眺め、ランチタイム、
強風で冷え込み、早々に下山、
・一族山 800.5m 13:30
この山は、千枚田の南西4Kmに聳える。
山名は歴史のロマンを誘う、その謂れを調べたくなりませんか、
山頂からも、千枚田がよく見える。
・千枚田上へ到着 14:00
この直下が千枚田、
千枚田案内図を眺め、真下へ、
・千枚田へ 14:06
手すり付の階段、観光客・シニアーの転倒防止?
・案山子 14:16
名札は、棚田オーナーの会社名
・千枚田記念 14:17
目の前に座られ、シャッターを押す、
H6年に制定した”丸山千枚田条例”を読む時間はない、先を急ぐ、
あとで読みたい方は、
丸山千枚田へどうぞ!
・展望所 14:18
展望所の標高は?
通り峠390m からさらに登ったので、450m 位?
・休憩所・見晴らし台? 14:21
小休止
ここからの眺めはすばらしい。
・大石 14:29
棚田の中央に鎮座する大石、
この大石のみが、棚田開拓の歴史のすべてを知る、
この石の上へ登って棚田を眺めたい方は、
『丸山千枚田の大石の上からの景色』をご覧ください。
・棚田キーパー 14:30
千枚田巡りで、唯一の出会い、
遠くに2人、手を振ると、大きく手を振り歓迎してくれた。
ご苦労様、
・標識 14:33
千枚田を巡り、
左 矢の川へ下り、風伝トンネルへ至るR311へ、
右 千枚田荘、100m 先
・丸山の民家 14:44
民家の屋根越しに、千枚田を眺めると、白倉山736m の南西面を開拓、
千枚田中央の”大石”以外は、すべて掘り起し、積み上げ棚田を構築した。
その苦難の歴史こそが、人類の文化遺産なのだ、丸山千枚田条例が一層機能することを願い、千枚田を後にした。
・ふれあい市場 14:55
R311 出会い、市場前がバス停、
マイクロバスが待つ、お疲れ様、
・千枚田巡り記念 14:57
R311 へ到着し、記念写真を撮り忘れたことに気付く、
早速、三脚を取り出したが、良い構図はありません、市場前の柿の木の前で、
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《取材メモ》
今回のハイキングに参加し、取材して、
1、熊野古道・風伝峠を歩いて
風伝峠を歩いてみて、難易度は☆で、シニアーにもやさしい。しかし、装備は登山靴がよい、
峠付近は、車道・御浜紀和線 R 62が並行し、古道は、往時の石畳が残るが、車道が古道を寸断する。
世界遺産になってからと思うが、標識も多く、よく見て歩けば迷うことはなさそうです。
2、丸山千枚田
この千枚田の開発は、何時から始まったのか?知りたいところだ、
・ウキペディアをクリックすると、
丸山千枚田がいつ頃から存在したかは明らかではない。丸山で最初の検地が実施されたのは天正18年(1590年)のことである。
関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀伊に移封され、慶長6年(1601年)に検地が行われたときには既に約2,240枚の棚田があったとされる
安斎忠雄が1898年(明治31年)の測量図を推定したところ、この時の棚田は2,483枚であった。
丸山千枚田の価値を最初に見出したのは地理学者の中島峰広であり、1974年(昭和49年)に「本邦における棚田地域の地理学的研究」
という論文を執筆している。棚田経営は近くの銅鉱を中心とした鉱山での労働との兼業によって維持されていたが、
1978年(昭和53年)に鉱山が閉山、労働力の流出を招いた。
後継者不足と高齢化、更に当時の減反政策やコメの価格低迷、機械化が難しいことなどの要因も重なり、耕作放棄が進み、
1992年(平成4年)には530枚まで減少した
とある。
3、一族山 800.5m
棚田の南西4Km に、一族山が聳える。その山名が気になると思う。
<一族山由来と近辺の景勝地・・・web 情報>
・由来→一族山と聞いただけで、秘めた歴史ロマンを感じる。
その山名は、
南北朝時代(1336 〜 1392・室町時代の初期 )
に南朝側の刀剣をつくっていたと伝えられる入鹿鍛冶(いるかかじ)一族に由来するという。
(三重の山本より)
・この一族の子孫が、丸山千枚田のルーツかも?(これは、私見)
・景勝地→「日本の滝百選」の布引の滝。その他、松山滝・荒滝は道沿いにある。「日本棚田百選」の丸山千枚田は近くにある
編集者: JA2TKO
やまびこ川柳
”古道など 避けてトンネル 掘ればよい”・・・世界遺産審査委員長と取材記者
”千枚田 大石のみが 歴史知る”・・・熊野歴史館館長
”千枚田 年3万で 売り出され”・・・千枚田の地主高齢者
”山あるき 取材編集 ボケ防止”・・・ボケを遅らせたい取材記者
皆さん、Friend さん、お元気で
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