三重県伊勢市
朝熊ヶ岳(あさまがだけ)555m・朝熊岳道ハイキング
Jan 13. 2015

朝熊連山、近鉄鳥羽線の朝熊駅付近からの眺め(クリックで山頂からの大展望)

朝熊ヶ岳は、ガイドブック(三重県の山)によると、信仰登山の山であり、伊勢神宮の鬼門を護る山、死者の魂の行くところとして、 頂上東側につくられた金剛證寺が人々の尊崇を集め、『伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り』といわれ、麓から何本もの参拝道が発達し、 大いに賑わったという。

現在は、伊勢志摩スカイラインの開通により、観光地として定着し、かっての参拝道(岳道)は、地元の中高年ハイカーでにぎわっている。

今回、やまびこ会一行22名は、登山の安全祈願の初詣として、往時の風習に習い、朝熊参りと伊勢参りをセットで計画し、合計20.000歩の初歩きを楽しんだ。

写真説明、
朝熊連山の尾根は、伊勢の宇治から鳥羽へ連なる。その中ほどのピークが朝熊ガ岳(写真左ピーク)、帰路、近鉄の朝熊駅近くの車中から撮影、15:31
写真クリックで、朝熊ガ岳山頂からの鳥羽港、答志島、菅島の大展望、


@であい広場の”コース案内図”(であいの広場〜山頂〜金剛證寺〜経塚ピストン)

Aマップ&断面図

B総所要時間: 5時間14分/往復約8Km・累積標高差±601m・取材記者歩数:15,000歩



・登山口 ”であいの広場P”9:43

”であいの広場P”は、トイレ、あずまや、案内板完備で、地元のハイカーの出会いの場、

あづまやで準備中の地元のハイカー数名に挨拶、朝熊ヶ岳は、前方の尾根左のピークと指さす。快晴、

《注意》
・マイクロバスでのアクセスは、朝熊駅周辺からは生活路狭く無理、左から迂回しての進入がおすすめ、

・入山 9:47

あずまやの前の案内板を確認、そのすぐ前から、朝熊岳道のスタート地点、



・町石(ちょういし) 9:59

岳道には、一町(109m) 間隔に町石、

現在は、所どころ欠損あり、復旧有、ここから、急登が続き、朝熊峠が二十二町で登りの終点、



・ケーブルカー軌道跡 10:20

しばらく進むと、かっての、朝熊登山鉄道のケーブルカー軌道跡に橋が架かる。

このケーブルカーの悲しい運命(歴史)は、次の写真をクリック、

・往時のケーブルカー 10:20

大正14年、当時東洋一といわれた、伊勢の自慢は、戦時下軌道は没収され軍需品に、

戦後は、復活することもなく、S37に正式に廃線、S39伊勢志摩スカイライン開通を見越しての決断と思う。、

往時、開発を進めた実業家諸氏の胸中を思う。

・橋上からの展望 10:20

かって、ケーブルカーの乗客は、伊勢湾を眺め、

全長 1.078m、高低差 418m, 勾配 32度、9分間の旅を楽しんだ。



・十一町石 10:27

入山から、40分で、峠までの半分登ったようだ、



・十四町石 10:44

登りが続き、汗ばむ、休憩



・十八町石 10:59

新旧が並ぶ、往時の石柱は欠陥品?

同じ部位でのひび割れが目立つ、

・二十二町石・朝熊峠 11:14

この町石は新しい、

入山から、1時間27分で峠に至る。

・峠の展望、伊勢湾 11:15

ハイカーは、感激し、寄り添う、

・山頂の広場 11:36

そこは、伊勢志摩スカイラインに通じ、朝熊岳八大龍王社が建つ、

・宇治岳道と登山バス 11:20

写真をクリックして読んでくださいね。

伊勢志摩スカイライン開通前にも、登山バスはあった。

伊勢(内宮)から、旧道を登り、ケーブルカー山上岳駅、金剛證寺を巡ったという。

・山頂広場の展望 11:36

一同、伊勢志摩の大展望を俯瞰する。

・朝熊岳八大龍王社 11:41

参拝者全員、甘酒をいただく、感謝!

・伊勢デジタルテレビ中継所 12:17

寒風を避け、ここの陽だまりで昼食、



・山頂の石碑 12:19

神社前の広場に建つ、

石碑側面に、
一等三角点及び天測点は、是より西へ直線距離で850メートル と 刻まれる。

・登頂記念 12:26

まだ歩き足らない健脚隊員、そうでもない後期高齢者(含む取材記者)総員22名

後方は、鳥羽市沖の諸島、

・答志島、菅島展望 12:28

正面奥の島が、答志島、その右が菅島、

そこから、えぐられた土砂は、中部国際空港の建設に使われたという。



・山頂エリア案内図 12:35

写真クリックで拡大、

山頂には、数々の史跡が点在し、一帯は、伊勢志摩国立公園(戦後第1号、S21.11.20指定)に含まれる。

写真をクリック拡大で、金剛證寺門前に大駐車場、その前をスカイラインが走る。



・案内板 12:36

この案内板を確認し、金剛證寺と経塚群跡を巡る。

・金剛證寺参拝 12:53

一行は、寺院の裏手から進入し拝観、よって順路は逆なり、

寺院内は、随所に長大な『塔婆』が立ち並ぶ、

この寺は、京都の南禅寺派の寺院といい、参道で、南禅寺のH27年1月号をゲット。

・智慧寅 12:56

広大なお智慧(知恵)を戴いた寅の像にご縁を結びなさいといい、参拝者は、寅の頭をなでる。



・参道のお店 13:02

萬金丹は、越中富山の薬と思っていたが、ここでも名物?



・鐘楼 13:06

鐘楼の構造から、この鐘はITを活用し鳴らす?



・極楽門 13:13

と聞けば、誰しもくぐりたくなりますよね、

その奥は、死者を弔う長大な『塔婆』の城壁が続く、

その最奥が、奥ノ院、

・朝熊山経塚群、 標高:540m・ 13:28

経塚は、明治28年に、老樹の根元から、承安3年 (1173) 銘の陶製の経筒が出土した。

詳しくは、写真をクリックして説明版を!

・無線小屋発見 13:31

これは、JARL (日本アマチュア無線連盟)の無線小屋とアンテナで、今回、私の取材目的の一つ、

編集者は、半世紀以上前から、ここから発射されるビーコン、およびリピーター局を受信し、通信に役立てた。

・ビーコン:50.010MHz のモールス信号、このVHF信号は通年発射され、受信機の機能、電波伝搬状況の確認に活用、

・リピーター局:この中継局を駆動し、広域通信を可能とする、

@JR2WA 439.04MHz FM、

AJR2WA 1291.08MHz FM

・設置場所:伊勢市朝熊山大字岳

・下山開始 13:31

ここから、暫く旧車道を進み、朝熊峠で合流する朝熊道に入り、往路を引き返す。



・全員下山 14:49

下山所要時間:1時間13分、

歩数:15,000歩

お疲れさま、

一行は、直ちに、お伊勢さんの初詣に出発!



《取材メモ》

今回の登山に参加し、取材して、

1、朝熊ガ岳に登って思うこと

朝熊ガ岳 は、往時、お伊勢参りに先駆けて山頂近くにある金剛證寺の参詣時に登ったという。内宮からは8Km の緩やかな登り、 参詣道での直登は、険しい山路です。

何れも、参詣者にとっては、障害であり、お伊勢さんの”おもてなし”として、どうしても”ケーブルカーで峠まで” の悲願を、大正14年に成し遂げた。この快挙は、伊勢地方の自慢となり、東洋一であり、日本6番目の成就であった。

その喜びも束の間、戦争は、ケーブルカーの線路をもぎ取り軍需品へ転換した。

当時の、関係者は、さぞ悔しい思いをしたであろうが、反対することも出来ず。何の補償もなく、終戦後も休止が続き、 再開もなくS37 年に廃線となった。 この悔しさを、現在の伊勢市は、参詣道の案内板に書き留めたと思う。

そして、伊勢神宮のご加護も、戦争阻止には効き目がなかったようだ。

2、金剛證寺参詣の今

山頂から、散策路を辿り、金剛證寺の境内を巡ると、大変な人ごみに驚いた。聞くと、観光バス7台で来たという。

そこは、伊勢志摩スカイラインのお蔭で、門前に大駐車場を備え、お伊勢参りと共に立派な観光産業であった。

境内には、見の丈の倍ほどの『塔婆』が並ぶ、とりわけ極楽門から奥ノ院への順路には延々と居並ぶ、そのさまは極楽浄土への道と思えた。 これは、伊勢地方に伝わる死者を弔う風習として、お伊勢参りと共に、往時を凌ぐ勢いと思う。

編集者: JA2TKO

3、やまびこ川柳

”朝熊岳 ケーブルカーの 無念知る”・・・取材記者、戦争なければ生き残ったか?

”朝熊道 戦争遺跡 軌道跡”・・・世界平和を願う、取材記者

”参詣道 利用するのは 中高年”・・・伊勢市中高年ハイカー一同

”伊勢参り 赤福食べて 締めくくる”・・・やまびこ隊員一同

皆さん、Friend さん、お元気で




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