朝熊ヶ岳(あさまがだけ)555m・朝熊岳道ハイキング Jan 13. 2015 |
・登山口 ”であいの広場P”9:43 ”であいの広場P”は、トイレ、あずまや、案内板完備で、地元のハイカーの出会いの場、 あづまやで準備中の地元のハイカー数名に挨拶、朝熊ヶ岳は、前方の尾根左のピークと指さす。快晴、
《注意》 あずまやの前の案内板を確認、そのすぐ前から、朝熊岳道のスタート地点、
岳道には、一町(109m) 間隔に町石、 現在は、所どころ欠損あり、復旧有、ここから、急登が続き、朝熊峠が二十二町で登りの終点、
しばらく進むと、かっての、朝熊登山鉄道のケーブルカー軌道跡に橋が架かる。
このケーブルカーの悲しい運命(歴史)は、次の写真をクリック、
大正14年、当時東洋一といわれた、伊勢の自慢は、戦時下軌道は没収され軍需品に、 戦後は、復活することもなく、S37に正式に廃線、S39伊勢志摩スカイライン開通を見越しての決断と思う。、
往時、開発を進めた実業家諸氏の胸中を思う。
かって、ケーブルカーの乗客は、伊勢湾を眺め、 全長 1.078m、高低差 418m, 勾配 32度、9分間の旅を楽しんだ。
入山から、40分で、峠までの半分登ったようだ、
登りが続き、汗ばむ、休憩
同じ部位でのひび割れが目立つ、
この町石は新しい、
入山から、1時間27分で峠に至る。
ハイカーは、感激し、寄り添う、
そこは、伊勢志摩スカイラインに通じ、朝熊岳八大龍王社が建つ、
写真をクリックして読んでくださいね。 伊勢志摩スカイライン開通前にも、登山バスはあった。
伊勢(内宮)から、旧道を登り、ケーブルカー山上岳駅、金剛證寺を巡ったという。
一同、伊勢志摩の大展望を俯瞰する。
参拝者全員、甘酒をいただく、感謝!
寒風を避け、ここの陽だまりで昼食、
神社前の広場に建つ、
石碑側面に、 まだ歩き足らない健脚隊員、そうでもない後期高齢者(含む取材記者)総員22名
後方は、鳥羽市沖の諸島、
正面奥の島が、答志島、その右が菅島、 そこから、えぐられた土砂は、中部国際空港の建設に使われたという。 写真クリックで拡大、 山頂には、数々の史跡が点在し、一帯は、伊勢志摩国立公園(戦後第1号、S21.11.20指定)に含まれる。 写真をクリック拡大で、金剛證寺門前に大駐車場、その前をスカイラインが走る。
この案内板を確認し、金剛證寺と経塚群跡を巡る。
一行は、寺院の裏手から進入し拝観、よって順路は逆なり、 寺院内は、随所に長大な『塔婆』が立ち並ぶ、
この寺は、京都の南禅寺派の寺院といい、参道で、南禅寺のH27年1月号をゲット。
広大なお智慧(知恵)を戴いた寅の像にご縁を結びなさいといい、参拝者は、寅の頭をなでる。
萬金丹は、越中富山の薬と思っていたが、ここでも名物?
鐘楼の構造から、この鐘はITを活用し鳴らす?
と聞けば、誰しもくぐりたくなりますよね、 その奥は、死者を弔う長大な『塔婆』の城壁が続く、
その最奥が、奥ノ院、
経塚は、明治28年に、老樹の根元から、承安3年 (1173) 銘の陶製の経筒が出土した。
詳しくは、写真をクリックして説明版を!
これは、JARL (日本アマチュア無線連盟)の無線小屋とアンテナで、今回、私の取材目的の一つ、 編集者は、半世紀以上前から、ここから発射されるビーコン、およびリピーター局を受信し、通信に役立てた。 ・ビーコン:50.010MHz のモールス信号、このVHF信号は通年発射され、受信機の機能、電波伝搬状況の確認に活用、 ・リピーター局:この中継局を駆動し、広域通信を可能とする、 @JR2WA 439.04MHz FM、 AJR2WA 1291.08MHz FM
・設置場所:伊勢市朝熊山大字岳
ここから、暫く旧車道を進み、朝熊峠で合流する朝熊道に入り、往路を引き返す。
下山所要時間:1時間13分、 歩数:15,000歩 お疲れさま、
一行は、直ちに、お伊勢さんの初詣に出発!
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