マーチャンの富士登山・3776m・富士宮口コース Aug 8/9. 2011 |
・富士宮口新五合目、出発 12:29・2390m マーチャンの愛車クラウンで11時着、既にPは満車、下山者を待っての駐車となった。 メンバーは、右から ・マーチャン・・・近場はMTBで用足し、歩道橋の階段で足腰鍛え、猿投山1回登頂 ・友ちゃん・・・日々の散歩で健脚キープ、富士登山7回目 ・取材記者・・・安近鍛で体力維持、富士登山2回目 気圧順応時間は、P探しと食事の1時間30分
高山病予防
Pは満車で、路肩駐車が延々と続く、 ポイントは、下山者を捕まえて交渉して入れる。
ゆっくりゆっくり歩く、全員元気、 休憩時、山口県からの定年登山の夫婦と会話、車で来た、ここで一泊し明日から登るために、 標高2500mの散歩で体調を整えるという。なるほど、
入山一時間、休憩も慣れた頃、期待と不安が交差する。
下山者の情報で、山頂は晴れていたというが、雲行きが怪しくなってきた。
マーチャン元気そう?
新七合目休憩時に知り合った、呉市から来たという米国人英語教師、小学生&ガイドの友ちゃん 小学生は、自分の名前をMy name is ・・・・と大きな声で告げた。女性は、very goodと大きな声で褒め称え二人は仲良くなった。 こども英語教室の成果と思う。
富士山は、外国人に人気です。今回目が合い挨拶した外国人は、この他にもカナダの女性、フランスの青年2人組、
インドから来た精悍な3紳士といろいろです。
あれか? あれは宝永山の頭です、山頂は右上遥か雲の中です。 マーチャンの心境は? 写真をクリックしてね。
取材記者は、雷雲の接近を予知するために携帯ラジオのSWを入れ、いざとなったら素早くレインを着るように告げた。
山中ではしばしば豪雨に遭遇します。いかに早くレインを着るかが重要です。 ずぶ濡れになれば低体温症の危険が迫ります。 幸いに小雨で済み、無事に3000m到達です。しかし、マーチャンは手がかじかんで手袋が外せないという。 手を握ると、氷水に浸したように冷たく、私と友ちゃんはびっくりした。
本人は、秋になるとこのような現象が出るという。しかし、私は異常と判断した。
撤退もよぎったが、ここで十分休養し、八合目の診療所で相談することにして前進した。
八合目への道のりは長かった。所要時間40分が67分、 途中、レスキュー隊3名が脱兎のごとく下る。 そのあとから、AEDを背負ったレスキュー隊員が続く、高齢登山者の心肺停止? 我々の登山計画は、全員元気ならここから御殿場道へトラバースし、赤岩八号館でゆったり泊の予定であったが断念、 我々は、ここで泊まるか、撤退すべきか判断を迫られた。 私は、マーチャンを説得し、診療所のドアーをたたく、中に入り、呼び出しブザーを押しても反応がない、 心肺停止の往診で不在?、しばらく待つと奥から学生医?の若者が出てきた。先ほどのレスキューは、19歳の青年が 心肺停止で出動中という。
ところで、どうしましたか? はい、手が冷たくなって元気がないので診てください。 マーチャンは、大きな酸素ボンベの横の椅子に座り、マスクを嵌められ酸素吸入となった。数分ほどと思うが見る見るうちに血色が よくなり回復した。 お蔭で、我々は八合目で宿泊すれば、明日は全員元気で登れると判断した。
SpO2濃度(%)
・100〜96%・・・正常(注1) (注1)血液中のSpO2濃度は、普通の人はいくら走っても95%以下にはならない、 血中酸素チェッカーの詳細は、⇒ パルスオキシメーター ・ご来光 5:11 池田館の宿泊は、身体検査で衣服に濡れあれば着替えろ下着を触る、あわやセーフ、食事は僅かなカレー、水はコップ一杯限り、 一坪以下の桝席に3人、マーチャンは、早々にイビキをかきながら熟睡した。 私は、携帯ラジオで下界のニュースと天気予報を聞く、山小屋のご婦人は、ここのところ午前中は晴れるが午後は雲が出るといった。
池田館は南向きのようで、ご来光は真横からとなる。ガイドの友ちゃんは、御殿場道の赤岩八号館を奨める。 池田館と診療所の間に、登山者を数えるための赤外線カウンターが設置される。我々は、何回も往復したが、 7,8月で30万人というから気にしないことにした。
登山道は、進路を誤らないように矢印、ロープで守られる。特に、落石防止の鉄棒が沢山打ち込まれていた。 登路は、落石事故の度に、付け替えられ毎年移動すると思われた。
我々は、20〜30mごとの矢印で休憩しながら一歩一歩登り九合目を目指した。
マーチャンは、休憩の達人です。腰掛石の数だけ休憩し、活用した。
我々は、ここで一息入れ、青い空気に勇気づけられ、全員登頂できると確信した。
私は、眼下の愛鷹連峰をじっと眺める。 その主峰の越前岳1504mに今年の6月に登り富士を仰いだ。 今、その逆絶景を目の当たりにしたのだ。感激!
空気は薄いが空は青い、登山者は皆静かに深く呼吸する。
登山者は皆静かに休む、老いも若きも、
一歩一歩、風景変わらず。
山小屋の名は、胸突山荘、若者もへたり込む、
布団が干してある、今日は天気が続くようだ、ありがたい。
九合五勺からの眺めです。
あと、標高で236m登ると山頂です。あと、何回休憩するか?標高差6mで休むとすると、39回、
九合五勺出口の案内板です。
山頂へ550m、30分と出ました。ならば、我々は60分と瞬時に判断します。
友ちゃんの笑顔、激励、頑張るマーチャン 前方のシャープエッジは、富士宮ルートと御殿場ルートの境界線をなす溶岩流の尾根、
振り返ると、万年雪山荘横に雪渓を確認、
ついに、浅間神社奥社の一の鳥居に到着しました。
奥社に参拝し、”富士山高齢者登拝者名簿に記帳しました。 宮司より、お神酒拝し、杯と記念の扇子を拝受、 高齢者登山者とは、70歳以上が対象で、記帳者には毎年、登頂者名簿が贈られる。 ちなみに、S21の名簿を見ると、最高齢者は94歳、数え70歳以上が982名、
みんな疲れた、しばらく休憩、朝食のパンと牛乳を済ませる、マーチャン、友ちゃん食欲がないという。
私は、前回は食欲なし、今回は食欲あり、全部たいらげる、これは、ゆっくり登ったマーチャンのお蔭です。
最後の難関です。
残雪は、お釜の底にあと僅か、今年は暑いのだ、 尾根の左側に鉄製アングルの柵が続く、これは、かって強力が測候所に荷揚げするときの命の柵です。 冬季、強風に吹き飛ばされないように、カラビナをかけ一歩一歩登った、 私は、その柵をつかんでずり落ちないように登った。
最後の、一歩一歩の始まりです。
マーチャン一行、日本最高峰を征服、快晴、無風、爽快なり、 ここで一句
『 同級生 チームワークで 富士登山 』
剣ヶ峰より北西はるかに南、北アルプスを望む、雲間に浮かぶ峰々、青い空
日本一の富士山は一等三角点と勝手に思っていたが、何故か、二等なのだ、
詳しくは、 石柱一辺の長さは、一等18cm、二等15cm、 石柱の下部には盤石が埋められる。 更に、富士山の三角点は、周辺を石とセメントで守られる。
前回登った時は、高山病上がりでボーとしていたが、今回は、じっくり観察できた。
須走口頂上の山小屋です。ここでも多くの登山者が宿泊します。
我々は、ここで泊まる発想はなかったが、一泊し、星空でも眺め、のんびりお鉢めぐりするのも良さそうですね。
近年、山小屋への荷揚げは、ブルドーザーです。 我々が山頂の食堂で求めた『富士山の天然バナジューム水』も 彼が荷揚げします。彼の活躍が富士登山を支えています。
ごくろうさん、
下山開始から1時間ほどが経過した。下りはそれなりの速度で進みますが、疲れは膝に来ます。 やはり一歩一歩がよさそうです。 山小屋を数え、八合目は未だか、八合目は未だか、
休憩中の高齢者夫婦との会話です。 富士山の緑化に貢献している『オンダテ』です。
近年の温暖化で、八合目付近まで繁殖した。
この風景になると新七合が間近です。
友ちゃんの好きな宝永山です。今回は、そこを巡る余裕はありません。
全員無事に下山、おめでとう! 最後の階段を下ると、ボランティアガイドの皆さんがお疲れ様とねぎらいます。 剣ヶ峰まで登ったよと胸を張るマーチャン、カメラ渡しシャッターをお願いします。 帰路は、天母の湯で疲れをほぐし、夕食を済ませ、十分休憩し、東名経由で帰豊した。
マーチャン、友ちゃんお疲れ様、ありがとう。
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